公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞
“ソーシャルファーマー”を目指して
「日本農業を変えたい」「農家が儲かる仕組みを作りたい」という思いから、JA全農グループの営農指導員を退職し、ひとり立ちしたのが26歳の時でした。周囲からは「安定した職業を捨てて、自営していくのは難しいよ」と大反対を受けましたが、自分の中で覚悟は十分にできていました。そのために農業高校、大学農学部に進学し、在学中から日本各地の農業生産現場を見て回り、世界11か国に足を運んで経験を蓄積してきました。
2014年4月、滋賀県甲良町の山村集落に移住しました。私が暮らす正楽寺集落は、世帯数30軒に満たない小さなむらです。築65年の大きな古民家を借りて、新たな生活をスタートしました。わたしの家のすぐ裏山には正楽寺山があり、室町時代初期には近江守護職佐々木道誉が居城を構えたという勝楽寺城が残っています。そんな歴史ある集落にも、人口減少と高齢化の波が押し寄せていました。例えば、今まで継続してきた村祭りにおいて、祭りののぼり旗を立てる若者がいなくなってしまい、老人会が総出で肉体作業を行うことがありました。小さな畑で作った野菜は、すべて猿やキツネなどの動物に食べられてしまい、ようやくできた農産物も価格が低迷しているために十分な所得を得ることが難しくなっています。その結果、先祖代々引き継いできた農業生産を断念する人も増えています。山側には、荒れ果てた耕作放棄地が年々増加しています。
わたしは農業を断念した人たちの耕作放棄地を借り受け、多国籍料理屋で使用する特殊野菜(イタリアナス、ハラペーニョなど)の栽培に取り組んでいます。トラクターの爪が折れてしまうほどの硬い土壌を何度も耕し、牛糞たい肥などを投入して土壌改善に取り組みました。ハラペーニョやハバネロなどのトウガラシ類は、猿や猪が苦手のようで、獣害対策作物としても効果的であることが分かりました。初年度に30アールからスタートした農場も、2年半で100アール(1ヘクタール、約3300坪)まで規模拡大しました。
わたしは狩猟免許を取得し、捕獲したイノシシやシカの肉を使った特産品づくりにも挑戦しています。ジビエ製品の具材として、自分で育てた野菜をペースト状にして練りこんでミートボールやハンバーグなどを製造しています。駆除されたイノシシやシカは、約9割が山に埋められるなどして廃棄されてしまいます。農産物と組み合わせて加工品づくりを展開することにより、地域の新しい特産品に成長しようとしています。「鹿肉はずっと臭いと思っていたけれど、きちんと処理されたお肉は臭くもなくて、とってもおいしい」と好評を得ています。
初年度から、農業研修生も積極的に受け入れています。うつ病で会社を辞めた人や、中学生のころから不登校になり引きこもり生活をしていた若者が、ネット検索で私の取り組みを知り、親と一緒に我が家を訪問することが増えてきました。親元離れて、私の家の二階で住み込みながら農業体験を行っています。大学生などのアルバイトも含めると、年間20名ほどが我が家で住み込み型の農業体験を行います。2年半で、50名が巣立っていきました。最初に我が家に来た時には、青白い顔で自分の人生を悲観していた若者が、一か月もたてばイキイキと自分の人生を模索しようと動き出すのです。私のほうが大きな勇気と希望を与えられました。私は若者たちが新しい価値観を見出し、人生をスタートする瞬間に立ち会えることを幸せに感じています。「支援をする」のではなく、あくまで対等な関係だと思っています。
農業は無限の可能性を持っています。農業で社会の課題を解決する「ソーシャルファーマー(社会課題解決型農業者)」を目指して、地域の課題や資源と向き合いながら、これからも自分らしい農業に取り組んでいきたいと考えています。