「働くことだけが人生」人生の大半を働いて働いて生きてきた85才の爺サマでございます。孫が「おじいちゃん恐竜時代の生まれ?」と聞くほど物凄い古い時代の人間に見える爺サマが若者へのメッセージなどおこがましくも恐縮だが古老ゆえに与えられるメッセージもあります。
私は昭和初期8人兄弟の長男として水呑み百姓の倅として生まれてきました。物心ついた頃から「朝(あした)に霜(しも)を踏ん(ふん)で出で夕(ゆうべ)に星を戴(いただ)いて帰る」百姓の両親の姿を見て育ちました。こども心にも親の肩巾の広さ、頑丈さを感じ取り、働くこと、働けることこそを無上の喜びと感じて育ってきました。
時代は戦前、戦争への暗雲立ち込めはじめた頃です。人はすべて働かねば食えない時代ですから遊んでなどいられる余裕はありません。ですから親達は「朝に霜を……」の明け暮れでした。
小学校低学年の頃、或る日弁当を忘れました。当時は先生も一緒に教室で弁当を食べていましたので、弁当を忘れションボリしているボクの姿をいち早く見つけ「ハヤシくんいらっしゃい」と命令され先生に近づいたら担任の女の先生が「こどもが食事しないのはいけません。先生の弁当食べなさいッ」好意を無にしてはと早速戴いて平らげちゃいました。水呑百姓のこどもにとって先生の弁当のうまかったこと。先生ちゆうもんはこんなうまい弁当が食べられる者なのか。よし俺も大きくなったら先生になろうと思いました。
二十年後ボクは高校の教壇に立っていました。長年高校生の就職の世話をする係をしていました。
就職試験が終わった翌日、会社から電話が入りました。「お宅の生徒サンは試験会場へ遅れてきました。一人だけいないので廊下へ出て探しに行ったら廊下へ崩れて落ちた商品を一人でせっせっと棚に戻している姿を目にしました。誰かが触れて崩れ落ちた品物を片付けている姿に感心しました…」といった内容でした。勿論彼はトップで合格入社しました。
教え子を会社でも官庁でも送り出した後はいつも彼らがしっかり働いているかどうか気になるものです。「三日で辞めた」なんて情報に接すると胸が痛みます。「電話応対コンクールでお宅の学校に○○サンが一等賞になりました」こんな電話をいただくと我がことのように嬉しく感ずるものです。
人間は百人十色ですから自分にピッタリ合った職場、仕事に巡り合うのは中々むつかしいことですが、仕事に自分を溶け込ませることの出来る働きこそ最高なのです。コーヒーに入れたサトウがコーヒーと溶け合わなかったら、コーヒーはコーヒー、サトウはサトウのままでうまいはずはありません。
若者の皆さん、働くこと、働けることは幸福なことなのです。自分と仕事を合体させて下さい。日々これ新たなり、日々これ喜びなりの人生を生きられます。