【 努力賞 】
【 テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
すさまじい校内暴力時代に学んだこと
神奈川県  小 林 公 司 75歳

「中3生徒 教師を殴り 脳内出血で半身マヒ」「中学校長 校内暴力に悩み遺書を残して自殺」

いずれも昭和56年の新聞記事。昭和56年から58年にかけて少年非行(校内暴力、シンナー乱用等)が最高値を記録。

 私はこの荒れた時代、全校約1200人のマンモス中学校の学年主任として3年間、学年生徒350人の指導に当たった。私の学年には小学校からタバコを吸う生徒が10人以上もいて、入学してすぐ神社で集団喫煙、続喫煙。親を呼んでも一向に改めず、学年があがるにつれシンナー吸引、校舎破壊、教師暴力へとエスカレートした。ツッパリ(当時の非行暴力生徒の俗称)たちは番長の黒岩他青島、後藤ら20人以上。次に主な非行を列挙する。

・中2の青島が授業中早弁をし、注意した女性教師の顔面を殴打。1週間の怪我。

・中2の後藤たちがバイクを盗んで無免許運転。通行人を強迫して金品を奪う。

・中2女子4人が夏休み中、デパート等で万引き。数日間家出し、喫煙、シンナー、吸引等。

・中3の黒岩、青島ら棒、竹刀を持って20数人と共に近隣校に殴りこみ。「新聞にのるデカイことをやるぞ!」と気勢をあげる。

・修学旅行中、ツッパリたちは上ばきで行く。黒岩は法隆寺見学中腕にイレズミ(マジックで書く)をして観光客を驚かせ、清水寺でセッタをはく。

・青島は持参したラジカセを聞きながら昇降口で黒岩、後藤らとシンナー吸引。注意した教師の顔面を殴打。3人が負傷。負傷した教師は救急車で病院へ。青島は警察署へ。

・私は病院へ行った教師の代わりに帰りの会へ。終わって廊下で突然黒岩に顔面を殴打される。「おあいこだ!」の彼の一言。2週間の診断。

・黒岩、後藤ら昇降口でシンナー吸引。注意した教頭、教師に暴行。その夜プール付近でシンナー吸引。パトカーに追われ警察へ。

・10月「学校祭をブッ壊す」ためツッパリたちは火災報知器を鳴らし、消火器をぶちまけ、ポスターに放火。壁が黒こげになり、消防車、パトカーが出動。学校は大混乱に。

・後藤が学校でシンナー吸引。暴れたので警察官が手錠をかける。翌日後藤らは放課後の教室で喫煙。注意した女性教師の顔面を殴打。転倒した教師は負傷し3週間の入院。

私は黒岩に殴られ教師を失格。転職を繰り返し子供が好きで教師になった私は生徒たちと温かい人間関係を築ける教職を天職と思い、人一倍努力してきた。でもこれを境に自信をなくし、日曜の夜は時計の乾電池をぬいて(明日よくるな)と教師の登校拒否を起こした。

 黒岩の「おあいこ」の意味は?思い返せば彼が中2の時、性こりもなく繰り返す非行暴力に「目を覚ませ!」とビンタを張った。そのお返しか?悪いのは先に手を挙げた私か?私は被害者ではなく加害者か?私は絶望の底で考えぬき、次の結論を得た。

 体罰は人格を傷つける。絶対にしない。体罰を愛のムチと肯定する力の教師から生徒を大きく温かく包む人間的共感をもつ心の教師になろう。失敗から学んだ私の失敗学は「力の教師」から「心の教師」への転換だった。

 この第一歩は詫びること。私は黒岩宅に行き、両親の前で黒岩に「先生がビンタをして悪かった。ごめん」と謝った。涙がにじんできた。でも心がスッキリした。これで黒岩との人間関係がいくらか回復した。私たちは生徒を大きく温かく包む事を心がけた。11月青島が少年鑑別所に送られた。これが一罰百戒の教育罰になり劇的にツッパリたちの歯止めになった。以後教師暴力はピタリと止んだ。

 卒業式は体育館での式の後、学級で学級担任が生徒に卒業証書を授与した。この学級卒業式で嬉しいサプライズがあった。9組の全クラスで学級に所属するツッパリ生徒たちが、花束を担任と副担任に生徒と保護者の拍手のなか渡してくれたのだ。私は黒岩から花束を手渡された。司会の生徒から「小林先生、何か一言」と言われ、私が「今、泣きそうです」と言うと、大きな拍手がわいた。

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