「伊勢志摩サミットが終わったら、行くわね」と伊勢在住の友達と約束した。
サミットから一週間後に訪ねたのだが、テレビや新聞で報じられていた、ものものしい警護は、あとかたもなく解かれて、太古からの神々しい伊勢に戻っていた。
近鉄伊勢市駅に着いたのは夕方。駅の近くの格調の高いホテルに泊まる。夕食だけ友達と共にすることにして、料理の追加を頼んでいた。私達庶民からすると、なかなかの値段だ。
レストランに入ると、スタッフは一斉に、「いらっしゃいませ」と言って頭を下げた。
私たち二人の席は、一番奥にあった。
まず「前菜」であったが、日頃行き慣れたレストランのとは、大きく違っていた、品数の何と多いことか。それぞれ「ままごと」のような器に入れられている。それが、大きな膳に盛られて運ばれてきた。「すごい」と二人が感嘆の声をあげていると、若い女性が来て、
一つずつ、丁寧に説明をし始めた。歯切れのよい上品な言葉づかいで、十品目に近いのに、すらすらと説明していく。私は、すっかり感心して、「大変だったでしょう、これだけ覚えるのは」と言った。すると、彼女は微笑んで「はい。二日間がんばって、やっと覚えました」と答えた。平安調の「うりざね顔」に、黒い前髪をしゃんと止めた美しい人である。
メニューを見ると、地ビールが二種類あった。私は甘ったるいビールは好きではないので、どういう味かと、たずねた。彼女は、「あのう、私、まだアルコールは飲めない歳ですので、奥で聞いてまいります」と言う。「えっ、まだ20歳になってないんですか」
驚いてたずねると「まだ18歳です」と答える顔は、確かに少女だった。
この若さで、この物腰――感心していると、彼女は奥から足早に戻ってきた。「どちらも、甘味の勝ったビールだそうです」
彼女は、静かな口調で報告した。
電車に乗った時に、三人の若者が盛んに話し合っているのを聞いたことがある。はじめ、どこの国の言葉だろうかと思った、中国語のようでもあり、韓国語のようでもあった。
どちらかなと思っている時に、電車が止まった。会話がはっきりと聞き取れるようになると、何と、日本語であった、隠語のような、略語のような、やくざ言葉のような、どこかの方言のような、意味の分らない言葉が続いたが「どうしてよ」「だからさ」などが聞き取れるので「外国語じゃない」と判明した。
伊勢の高級レストランで話す18歳の女性の言葉を聞いているうちに、電車の中の若者たちも、努力と修行さえすれば、これほどの品格のある日本語が話せるようになるだろうと思った。
彼女は、次々に出される料理の名前を、すらすら説明した。板前さんたちが心を込めて作った料理は、一段と輝きを増して、美味であった。
「美しい言葉」「品格のある言葉」は、どんな職業につく時にも、光り輝くものである。お化粧は、どんなに念入りにしても、そんなに長くはかからない。けれど、言葉は一朝一夕には身につかない。たゆまぬ努力と心がけが必要である。
若者たちが、すばらしい日本語を身につけて、大きくはばたいて行くのを、私は、心から応援したいと思っている。