【 努力賞 】
【 テーマ:多様な働き方への提言】
汗を流して
石川県  神 馬 せつを 73歳

今だから話せる恥ずかしい話である。

 交通事故の後遺症が完治せず、リハビリ途上の孤独な一人暮らし。仕事にも就けず、経済的にも貧乏のどん底状態だった。

 もう生きているのが辛くなり、生きている価値さえ見出せなくなり、旅行カバン一つ携えて夜行列車に乗った。

 なにかに誘われるまま、生まれ故郷である北陸地方の小さな町に降り立つ。もちろん希望のある旅ではなく、向かった先は東尋坊である。

 奇岩が連なる名勝だが、自殺の名所という記憶が心のどこかに眠っていたようだ。

 ところが、そこで出会った土地の人に声を掛けられ、飛び込む勇気が失せてしまった。「つい先日、ここから飛び込んだ人がいたのだが、満潮だったので奇跡的に助かったんだよ。それでも、骨が砕けたり血が流れたりして、悲惨な光景だったよ」と。

 そこまで言われて飛び込める人はいないだろうが、私だって本当に飛び込む気持ちがあったのかどうか、今となっては疑問である。

 しかし、これだけは断言できる。

 死にたくなるほど悩んでいるときは、本当に孤独なもの。生きていることにへとへとに疲れてしまうと、もう自分の殻に閉じこもってしまい、まったく周囲が見えなくなってしまうもの。

 そんなとき、だれかに「ひとこえ」掛けられると、「はっ」と気づき、我に返ることがあるものである。

 もう生きる意味がないと思って帰ってきた故郷の人に「ひとこえ」掛けられ、少しだけ元気を取り戻した私は、ある人の紹介で新聞配達という仕事に巡り会うことができた。

 歩くのが精一杯だったから配達の自転車にも乗れず、それはそれは大変だったが、それこそ死に物狂いで働いた。

 障がいのある人たちのサークルに参加して、自分に出来るスポーツにも汗を流した。

 そのうち、知らず知らずに自転車にも乗れるようになり、新聞配達員としての生活が板についてきたころ、ある新聞記事が目にとまった。

 警視庁のまとめによると、自殺者の数が毎年三万人近くになるという。一日に七、八十人もの人が日本のどこかで自殺をしている計算になるから、実に悲惨な現実である。その約六割が、経済や健康問題で悩んでいる中高年齢者であることが指摘されているが、若者の自殺も多く、仕事も将来も自分自身さえも見失った者の絶望感は本当に深刻である。

 そこで私は「自殺を考える前に、ぜひとも新聞配達を体験してもらいたい」と、機会ある度に訴え続けている。もちろん楽な仕事ではないが、まず汗を流して新聞配達をすることで、それまでとは全く違う世界が見えてくる。

 スポーツが苦手な人にも、早朝から新聞を抱えて駆け巡ることで、適度なスポーツにもなるから一石二鳥である。

 やがて、自分自身がこの世で生きている、生かされているということの確かさを、身をもってわかるようになる。今からでも、決して遅くはない。残りの人生を、より人間らしく生きていくために、勇気を出して先ず「汗を流すことから」始めてみよう。

 新聞配達で汗を流していると、闇の中からぼんやり光が見えて来て、それが明日の夢や希望という光になってやってくる。

 あなたにもきっとできる。あなたにも、希望の明日が輝く。

 さあ、汗を流すことから始めよう。あなたなら、きっとできる。

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