教師という父親の背中を見て育った私は、安易な気持ちで教職に就いたが、十年もすると新卒当時の情熱が薄れ、マンネリの状態が続いていた。
十年を過ぎたある日、起業家の知人から「あなたの生きがいはなんでしょうか?」即座に「子供たちに夢を与えることです」と、答えると「では、あなたの夢はないのですか?」と、さらに知人の追及があったが、答えられなかった。
知人は「あなたが、子供たちに夢を与えるためには、あなたが夢を持たないと、子供たちが素敵な夢を持って、将来に向かっていけないと思いますよ」と、結んだ。
全くその通りだと思う。現在マンネリ化しているのは、自分に夢がないから、このような状態に陥っていると再確認した。「どうすれば夢を子供たちに与えられるだろうか?」「あなたが一度、教師の社会から抜け出し、他の社会を見ることを薦めたい」と、言われ「えー、教師を辞めるのですか?」「辞めるのではなく、休職してあなたがやりたい仕事に就くのです」「それは理想ですが、現実は甘くないですよ」と、言い返すしかなかった。「あなたが現在、マンネリ状態では子供たちに魅力的な指導は出来ませんね」と、知人は少し激怒したような言い方であった。
そんな知人の薦めで、翌年教師を休職し、予てから興味があった旅行業に入社する準備を進めた。先ず旅行業者を選定する上で、己の能力を発揮できる部署があるか、そこをしっかり見極めることに時間をかけ、入社をした。
今までの教師生活は、一時間という枠のなかでの仕事であったが、当旅行会社は秒単位で動いている。予想はしていたが、忙しさに身体がついていけず、目眩を起こした自分に呆れてしまった。
入社した当時は分からないことでつまずきがあったが、このつまずきがコミュニケーションに繋がり、職場に馴染めるようになったきっかけでもあった。
教師の世界は、学級王国で他の教師との連携が少なく閉鎖的である。しかし、当会社は社員全体で動かないと機能しないことが肌で感じた。
仲間とのコミュニケーションがスムーズになると、水を得た魚のように仕事が楽しくなり、仲間から時々「生き生きしているね、変わったよ」
と、言われることに自信を深めたものであった。
しかし、早朝から深夜までの現地調査は体に応えた。旅行業者にとって現地の様子がはっきり掴めないようでは、旅行日程などは机上のプランそのものである。
そんな現地調査にしても、通り一遍のものではなく、先輩たちがやった調査よりも詳しく、しかもお客様が当地に行きたくなるようなイメージいっぱいの調査資料を上司に提出したところ「現地調査の主任」を上司からお願いされた。
現地調査はほんの一例であるが、自分が打ち込める目標を見つけ、目標に向かって汗や涙を流し、諦めずに自分の力を出しきったときに、己の生きがいを感じ、そこから新たに出世という夢を持つことができるのではないだろうか。
最後に、本文は転職を勧めているわけではありません。転職も自己の存在を再発見できる場ではないかと考えている。