フランス マザール荒井明子 66歳
若い頃は、旅人のような生活を送りたい、どこにも定めるところをもたず、気の向くままにあちこち回りたいと夢見たことがあった。「自由人」を夢見ていたのである。実際、そのような生活を六年間くらい続けた。時々仕事をし、お金の続く限り、旅して暮らす。数ヶ月仕事をし、数ヶ月旅をする。何てすばらしいのだろう。本当にうれしかった。始めは新鮮で、感激した。フランス語を専攻したので、フランス語を使う仕事、しかも海外の仕事を主に選んだ。仕事が終わった後、あちこち旅して回る。日本で働く時は、派遣社員として働いた。完全な雇用社員にはなりたくなかった。いつでも、どこへでも飛び立てるようにしておきたかったのだ。フランス語の仕事の時給はよかったので、居心地は悪くなかった。しかし、最初楽しかったこういう生活も、長く続けていると疲れてくる。なんとも頼りない、浮き草のような気持ちになってくる。
そんな折、パリで知り合ったアメリカ人に招待され、彼女のところに三ヵ月滞在した。彼女はロサンジェルス郊外に広いアパートをもっていた。そこを根拠地に、サンフランシスコ、ニューヨーク、ニューオリンズなどあちこちを回った。友人も時折付き合ってくれたが、いつもというわけにはいかない。働いていたからである。そんな彼女を横目で見ながら、私は自分の自由が嬉しかった。が、一通り見てしまうと、次第に気持ちは変化してきた。時間的に拘束されてはいても、彼女は社会にしっかり基盤を持って生きている。ところが、こちらには何もない。もちろん「アメリカを知る」という目的はあったが、かなり抽象的である。「それで?」「知ってどうするの?」「それを使って、社会で何をしていくの?」ということになってくる。実際、出会う人には、たいがいそう聞かれた。その場で、その都度、さまざまな回答をしていたが、自分でも、しだいに居心地が悪くなってきた。(本当に自分は何をしているのだろう。こんなことをしていていいのだろうか)そんな焦りのような気持ちも出てきた。自分でも予想していない感情で、がく然とした。
その後、今度はパリで、しばらく会わなかったフランス人の友人に再会した。その友人は一箇所に留まっているのに、いや、それゆえか、いろいろな問題に悩み苦しみ、人間としてひとまわり大きく成長していた。私はハッとさせられた。(もう止めよう。こんな放浪者のような中途半端な生活は終わりにしよう。どこかに定住しよう。そうでなければ、成長できない)そう思ったのである。たまたまフランスの会社が日本に支社を作るため、日本人アシスタントを探していた。私は志願し、承諾の返事をもらった。しかし、開始時期が遅れることになった。その間何かしようと、仏語学校に行き、ある張り紙を目にした。ある金融機関がルクセンブルクに支店を開き、仏英のできる日本人女性を募集しているという。(へえ、ルクセンブルクか。まだ一度も行ったことのない国だ。面白そう!)友達に相談したところ、笑われた。「あなたね、今では、質屋だって金融機関と自称する時代よ。そんな得たいの知れない話止めておいたほうがいいわ。フランスの会社の話の方がよっぽど確かじゃない」友人の忠告はもっともだった。それでも、未練がましく履歴書は送っておいた。すると、電話があり、面接してくれるという。しかも「ある金融機関」とは日本の一流銀行だったのである。そして、運よく、私は採用された。こうして、私はルクセンブルクへ行くことになった。私は生まれて初めて、住民票を抜いて日本を「出国」した。私にとっては、大きな転換期になった。あの時ほど、「正規に雇用されて働けること」を誇らしく思ったことはない。社会に根を生やして、仕事をしながら、海外に生活する。自分の独立した「本当の生活」が始まったような気がしたものである。