私は父の職場に行ったことがない。
だから働く父を見たことがない。
逆に働く母を毎日のように見て育った。
小学生の終わりの頃だった。
夕食の片付けが終わると母は、休む間もなく、トイレの防臭剤を入れるネットを作るための内職道具を押入れから出した。
リリアンと言うヒモを、すりこぎ状の棒に何本も吊るし、それらを棒に刻まれた印のところで二本ずつ結んでいく簡単で単調な作業だった。
まだその頃はテレビもなく、一家団欒は夕食と共に終わり、やることがなかった。何度も母の内職を見ていた私は、やらせてくれと母に頼んだ。簡単そうに見えて、その印の位置でぴたりと結び目を作るのは見ているほど簡単ではなかった。
確かひとつ作って一円くらいだったと思う。
しかし、仕事の成果と賃金が、直接仕上がった数に比例していると言うわかりやすい仕組みは、達成感も伴い、(働くとはこういうことなんだ)と、おぼろげながら感じたおそらく最初の経験だったと思う。
そんな私が、母の内職とは真逆の道に進むとは、その時は夢にも思わなかった。
その後、建築設計の道に進んだ私は、リリアンのネットに比べたら気の遠くなるような年月をかけてひとつの仕事を完成させてゆくことになる。しかし、その間、月末には決まって給料が振り込まれる。
一枚の図面を仕上げたと言う成果はあるものの、それはひとつの結び目に過ぎず、ネットはまだ完成していない。しかも成果にばらつきがあるにも関わらず、なぜ決まった日に決まった金額が振り込まれるのか?
そんな疑問を抱えながらも、仕事に追われ、毎月振り込まれる給料に安定した生活を送ってきたのも事実だった。
ある日建設現場で、何気なく見上げた鉄骨のフレームを見て気づいた。
やっぱりリリアンのネットと私の仕事は似ていると。
ひとつひとつの結び目を完成品の一部としてしっかりと結んでいかなければ、わずかなずれが、やがて大きなずれにつながり、不良品となってしまう。リリアンならほどいて結び直せるが、建築のわずかなずれは結び直せない。そういう意味では一枚の図面、一本の鉄筋のそれぞれが大事な意味を持っていて、ひとつとして結び目を間違えてはいけないし、後戻りが出来ない。
建物が完成するまでには気が遠くなるような結び目があり、それらひとつひとつを完全に結んでいくことが日々の仕事であり、それに対する対価であると考えれば、完成もしていない、リリアンの城に給料が払われるのは当たり前だ、と言う実に当たり前のことに気づいた。
そして、そういう意味で支払われている給料に対して、きちんと報いなければと改めて思うのだった。
そんな母が内職を終えて布団に入ると必ずこう言った。
『寝るほど楽はなかりけり 浮世の馬鹿が起きて働く』
まるでこのささやかな幸せのために内職をしていたのか?と思うほどの切り替えの速さは、母流の生活の知恵だったのだろう。
改めて、働くとは何か、を思う。
それは当たり前のことだが一日一日を精一杯生きることであり、それ以外の方法はない。
そしてオンとオフを切り替え、今日を明日に持ち越さないことで、一日にけじめを付けることなのだと思う。