昔、にしきのあきらが雑誌インタビューでこう言いました。
「今はスター、スターと騒がれていますが、明日はサンスターかハムスターになっているかもしれません」
いろんな事を取りあげられて、彼が吐いた名言です。このようにユーモアやギャグは悲しみや苦しみに対する自己防衛だと言う人もいます。
ひるがえって私のことを、特に仕事のことを考える時、ピンチに立たされるたび救ってくれたのは母親譲りの根性とユーモアのおかげだと思っています。
今も忘れられないエピソード。私が中学二年生の夏休み。母は日雇人夫の手当十日分はたいて竹箒(たけぼうき)を買ってきて自慢しています。「箒なんかみんないっしょや」と言った私に、
「あほ。料理人さんが包丁安モン買いますか?散髪屋さんが鋏(はさみ)ケチッてどないすんねん。日雇人夫は箒が命や。そもそもあんた日雇人夫を馬鹿にしてへんか?」
ズバリ、正鵠(せいこく)を射る言葉でした。
私がK市役所に勤めることが決まった時にも名言。
「市民に役立つ所と書いて市役所。自分はさておいて、市民の要望に答える人間にならんと市役所職員とは言われんで」
人間関係に悩み、市役所をやめようと思って相談した時。「ちょっと、そこらへんドライブしよう」と言って、助手席に乗りこみ、オバカな話を連発します。万才ファンだったので、たぶん受け売りだったとは思いますが。
「あんた、物事をクラ〜く考えるところがある。ほれ、そこのスーパーの駐車場かて見てみ。前向きに駐車してくださいと書いてあるがな。車も前向きや。人間も前向きに考えなあかんのと違うか?」の、母のツッコミに「それ、公衆便所の『一歩前へ』と同じノリやな」と私は受けて立ちます。
その後は、ほとんど母と息子の万才。
「和夫。月極(げっきょく)駐車場という会社は、ようけあちこちに土地を持ってる大きな不動産会社やねんなあ…」「かあちゃん、あれは月極(つきぎめ)って読むねん」「月に極める?ほなら月末ギリギリに駐車場代払えということやろうか?」「オレがションボリしてるから気をつかって、しょうもないこと言うて笑わせたろと思ってんの?それはおおきに、おおきに。そやから冗談はもうええで。冗談は顔だけにしとき」母は大きく深呼吸して安心したように言いました。「ほう、わが母親の顔を冗談と言えるようになったか。ほなら、冗談の顔から生まれたあんたは何やねん?妖怪ですか?言い返すわけやないけど、母親というものは、子供がおなかにいる時、こんな子供が生まれてほしいと願うもんや。あんたの場合、やさしい子供が生まれてきてほしいと願(ねご)たけど、うちに似た、男前の子供が生まれてきてほしいと願うのは忘れてたなあ。勘弁してや」
母は六年前、八十八才で亡くなりました。私は二年前、三十八年間のK市役所を定年退職しました。市役所職員生活を振り返るたび、元気で冗談好きだった母にかなり助けられたと思う今日此(こ)の頃(ごろ)です。