【 努力賞 】
【 テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
電話交換室から愛を込めて
埼玉県  佐 藤 香 名 58歳

「○○市○○町からお越しの○○様、お連れ様が2階の婦人服売り場でお待ちです」

「白い野球帽を被って紺色のセーターを着ている3歳くらいの男の子が迷子になっています。お心当たりの方は近くの店員にお声をかけてください」

「只今、当店では夏のバーゲンセールを行っています。ゆっくりと買い物をお楽しみください」

まだアナログの空気が残っていて、携帯電話がそれほど普及していない20世紀の終わり頃まで、私はそんな店内アナウンスの仕事をしていた。私が働いていたのは全国規模の総合スーパー。各店舗の中に「電話交換」という部署があり、そこで4名ほどの職員が働いていた。店内アナウンスのように「声」を使う仕事は声優になることを夢見ていた私にとって、やり甲斐があり楽しいものだった。

しかし、21世紀に入って間もなく、私の勤める総合スーパー本体は経営不振に陥ってライバル会社に統廃合された。同時に全国にある不採算店が見直され、運悪く、私の勤めていた店舗は閉鎖の憂き目に遭った。私は他の系列店で働くことになったが、非正規雇用に格下げされた。また、「電話交換」という部署は業務の合理化という名目で廃止されてしまい、庶務課に配属されて雑多な事務の仕事をすることになった。

 こんなはずじゃなかった、もうこの職場には見切りを付けて辞めようと何度も思った。非正規雇用となってからは給料も大幅に安くなり、ボーナスも貰えなくなった。それに「声」を使う仕事がほとんどなくなり、仕事にやり甲斐も見出せなくなっていた。沈鬱な気分に浸っていた。

 そんなある日、休憩時間に制服を着たまま地下の食料品を見ていたら、「あの〜、すいません」と背後から声をかけられた。振り向くと小柄な老婆の姿が目に入った。「あの〜、ここの店員の方ですよね。私、主人とはぐれてしまって……」と老婆は憔悴した表情で口ごもった。「あっ、ご主人をお探しなんですね」と私は言った。「はい、そうなんです」と老婆は取りすがるようにうなずいた。「でしたら、店内アナウンスをしてご主人をお捜ししますので、ご主人の着ている服とか、何でもいいですから特徴を教えてください」私は老婆から尋ね人の必要な情報を聞き出した後、老婆をエスカレーターの横にある椅子に座らせ、急いで庶務課に取って返して、使わなくなった「電話交換」の機材のスイッチを入れた。そして、まだ店内にいるであろう老婆のご主人に店内アナウンスで呼びかけた。身体の底から懐かしい意欲が湧いてくるのを感じた。

 店内アナウンスをしてから待機させていた老婆のもとへ行くと、中年の男性が老婆の傍に寄り添うように立っていた。「あの〜」と近づいていって声をかけると、男性が微苦笑するような表情を浮かべながら「ああっ、店内アナウンスをしてくださった方ですね。どうも母がご迷惑をおかけしてしまって……」と済まなそうに言って語尾を呑み込んだ。老婆はほどけたような笑みを満面に浮かべ、「おかげさまで主人が見つかりました」と言う。私は疑問符に打たれた。男性が手を口もとにかざし、私の方に顔を寄せ、「すいません、母はぼくのことを死んだ父だと勘違いしているんです」とささやくように言った。なるほど、そういうことかと合点がいった。老婆の無邪気に微笑む顔を改めて見ると幼児のように思われた。男性は老婆の腕をやさしく支えながら歩き去った。私はその後ろ姿に世の中の縮図を見るような気がした。

 その後、私は障害を持つ高齢者のために電話交換の機材を再び活用することを上司に提案した。仕事をしていると他者との接点が否応なく出来て、そこから多くのことを学ばせてもらうのだと、つくづく思う。そうだ、まだ私にはやれることがある。電話交換室から愛を込めて、私はこれからも「声」を届ける。

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