私は走る八百屋さん、祖母の手伝いで行商の道にすすんで38年目です。
「毎度、お買い上げありがとうございます。メロン、スイカ、バナナ、キュウリ、トマト、ナス、玉ねぎ、人参、ジャガ芋、キャベツ、大根、ほうれん草に花はいかがすか?」演歌のミュージックテープのあとに、祖母が繰り返しマイクでしゃべるこのフレーズが18歳の私には、たまらなくはずかしいことでした。
社会人になって3年後、車の修理工場を経営していただんなさんが急死して、専業主婦だった奥さんは、まだ幼い3人の子供達のため生活のために、実家の兄のバキュームカーの仕事を手伝っていました。夕暮れの桜公園で久し振りに会った祖母にかけ寄り「おばさん…私…この仕事はずかしい…」とうつ向いて泣き出しました。祖母は、奥さんの両手をしっかり握って言いました。「立派なおかあさんだ。この世に、はずかしい仕事なんてひとつもないんだよ」商事会社の採用試験をやめて、ガンに突然倒れた祖父の代わりに家業を選択し、全く想定外の仕事に就いた私は、はじめからお手伝いという意識が抜けきれず、祖母が競売で仕入れしたものを次々に回収し台車に運んで、ダットサンの荷台に崩れないように、しかも取り出しやすいように積んで、運転、配達、野菜の袋詰めをしていました。全ては、祖母の言いつけ通りの作業です。お手伝いから仕事へと意識が変わるきっかけは、夕暮れの桜公園のことがあってからです。
15年後、祖母は腸のポリープをとって引退し、やがて車椅子になり、寝たきりになって、天国に旅立って3年になります。今年は祖母の梅干しがすっかりなくなって、初めて梅干しに挑戦しました。毎日のように、梅を見て味みしていると、土用にひと粒ひと粒、丁寧に天日干しをしていた祖母の姿が思い出されます。若いときは、あれほどはずかしかったフレーズが、今となってははずかしいと思っていた自分がとてもはずかしくなりました。
祖母が引退した途端に、法事帰りの酒に酔ったおじいさんにからまれたり、80歳をこえ歯がなくなってトマトばかり食べている和尚さんに、「何もいらない、あなたが欲しい」なんてからかわれたり、家の前の駐車場を借りているとき、その家の主人に怒鳴られたり、いろいろなことがありました。その度に、常連のおばあさんたちが追っ払って助けてくれました。長い長い付き合いの常連のお客さんたちの生い立ち、武勇伝、最近の痛みの話などを日々聞いていると、自然に詩が生まれてきます。帰宅して、夜原稿用紙に立ちあげて完成すると、色画用紙とマスキングテープで仕上げて本人にプレゼントします。第1号の<おばあさんのネジ>は、地区の文化祭に出品しました。これは、仕事の新しい喜びの発見となりました。
人生半世紀過ぎて私がたどりついたのは、素直であるということは、あらゆる物事のベースができているということ。働くとは己を磨くこと、家族を育むこと、人は仕事で人になるということ。この道以外に、私の生きる道なし。