【 努力賞 】
【 テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
誰のために、何のために?
兵庫県  齋 藤 和 子 55歳

働くことの意味がやっと分かりました。

自分のため家族のためだったものが、仕事が自分のものになり、はじめて会社のため、お客様のため、そして社会のためと、順繰りに長い過程を経て、意識が成長したのです。

 短大を卒業して就いた仕事は、昔から夢見ていた保母職。やりたかった仕事だけに、懸命に取り組めます。受け持った子供たちへ愛情も生まれ、順調で楽しい仕事になりました。

 退職に至ったのは、「保母職員は結婚で退職」という暗黙の取り決めがあったからです。付き合っていた彼との結婚話が進み、保母の仕事は中途で諦めるしかなかったのです。。

 結婚した彼は喫茶店の経営者。その喫茶店の仕事を一緒に取り組みました。ほぼ十年、店の切り盛りと、子育てを両立させたのです。しかし、三人目の子育てが、喫茶店を閉める直接のきっかけとなりました。

 夫婦二人がかかりっきりの喫茶店経営。子供はレジそばの棚に寝かせて、子連れ仕事を余儀なくされます。三人目の赤ちゃんも、やはり職場で育てるしかありません。

 ところが、事態はこれまでと異なりました。赤ちゃんにアトピーが発症。額を覆ったできものが血だらけになるほど深刻な症状です。夫婦どちらにも子育てを頼れる身内は近くにいません。仕事をこなす喫茶店内は常に紫煙が漂い、アトピーにいいはずがありません。

 悩み試行錯誤を経て、ついに店を閉める決断に至りました。田舎にUターンすると、生活はスタート地点のゼロに戻りました。すぐ仕事を始めなければ、生活が大変です。

 選んだ仕事は、保母。もうやりたい仕事を選択する余裕はなく、やれる仕事しか選択肢はありません。臨時職員だからぎりぎりの給与です。少し手当がよくなるので、知的障害児保育通園施設に異動も躊躇なく決めました。

 仕事はより大変になりましたが、やりがいは倍増です。子供たちと接する日々がかけがいのないものになりました。仕事はそうあるべきだと、毎日が楽しくて溜まりません。

 しかし、やりがいと充実感だけでは、どうにもならない事態が訪れました。夫が体調不安で休職状態に。抱える子供は四人、これから教育費が多くかかる時期でもありました。

 迷うことなく転職です。後ろ髪を引かれる思いは当然ありましたが、吹っ切りました。 

新規出店するスーパーマーケットのスタッフが新しい仕事。それまで一度もやりたいと思ったことのない分野でした。でも、やれる自信だけはありました。収入が優先です。

 二年後、健康を取り戻した夫がバリバリ働きだしても、やりたい仕事に戻る気持ちは、もうありません。スーパーの仕事は順調で、新しい担当部署への挑戦も大歓迎です。未開拓の分野に「やりたい!」意欲がたぎります。

「先生、お元気そうで。その節は有難うございました。あの子、高校に通ってるんですよ」

 サービスコーナーに顔を覗かせたのは、知的障害児保育通園施設で受け持った子供の母親。いきなり発作を起こし、暴れたりと、目の離せない子供で、保育は真剣勝負でした。あの施設で卒園を見送った最後の担当保育児です。決して忘れられない子供でもあります。

「みんな先生のおかげです。有難うございました。こちらで働いてらっしゃるとお聞きしたので、お買い物に来させて貰いましたの」

 苦労を乗り越えた母親のいきいきした表情に頬笑み。嬉しい訪問でした。あの「やりたい」仕事が、こんなに素晴らしい成果を生んでいたのです。感激で胸が熱くなりました。

 スーパーの仕事も十年をこえ、サービスチーフとして忙しく毎日を送っています。新人教育も新たな勉強と刺激を貰えるチャンスと、前向きです。子供たちはみな巣立ち、家には料理を用意してくれる夫がいます。幸せです。

 いま確信できます。「やりたい」仕事も「やれる」仕事も決して別物ではなく、いかに働く目的を自身に見出せるかが最も大事なんだと。その答えにようやくたどり着いたのです。

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