働くことの条件として、仕事の内容はもちろんだが、やはり人間関係が一番重要で、そしていかに上司に恵まれるかだと思う。
高校を卒業してバスガイドになって三年目に、この仕事に対して自信がなくなった。同僚になぜかクレームに詳しい人がいて、しきりにその話題を持ち出してきた。その内容を聞くたびに、それは自分のことじゃないかと聞けば聞くほど、不安になっていた。しゃべることが大事なことなのに、口を開けばすぐクレームがくるのではないか。怖かった。
そんなときに、上司から言われた言葉は、25年以上過ぎた今でも記憶に残っている。
クレームが怖いので退職したいと上司に申し入れたときのことだった。
「クレームのことは心配しないで自分の仕事に誇りをもって取り組んでください。クレーム対処は、わたしたちの仕事なんです。あなたたちを守ります」
感動した。こういうふうにいってもらえる部下って、幸せ者じゃないかって。身体不調で五年間で辞めてしまったけれど、バスガイドの仕事は楽しかったと、20年以上過ぎた今も思えるのは、この上司のこの言葉に救われたからだと思っている。
そして、32歳の頃、小学生から憧れていた本屋さんで働くことになった。でもそこは、社員さんより勤続年数の長いパートが権力をにぎっていて、とても居心地が悪かった。失敗をお客様のいる前で怒鳴り、その失敗を違う人が違う場所でまた注意する。挙句の果て、連絡ノートというものに、「こんな基本もできないのは、猿以下だ」と書く。人の失敗を公表するまえに、そうならないように社員や長年いるスタッフは、新人のフォローをすればいいのにと何度思ったことか。家に帰ると泣きながらやけ酒を飲んでいたことが思いだされる。
しかし店長が変わったことにより、わたしの働く意欲も変わってきた。店長はまだ二十代で、チャラいというのが第一印象だった。しかし、この店長は、わたしの性格をうまく利用して、本屋での仕事のやりがいを見出してくれた。
わたしは、すぐ動揺して頭のなかがあわわとなるという話をした。
「スタッフみんなに、すぐパニック状態になると公言したらいい。そうすれば対処の仕方も変わってくる」
そう助言してもらって気が楽になった。そして店長は、わたしに売り場コーナーを任せてくれた。いつも、ベテランの人だけの特権みたいだったのに、店長はわたしにチャンスをくれたのだ。
できそこないの部下に対して、どこか伸ばすのりしろを引き出す能力は、とても素晴らしいと思った。
上司が部下の失敗を怒ることは簡単なことだと思う。怒ればいいってもんじゃない。感情で動いて、注意することと怒るということをごっちゃまぜにしないでほしい。
本屋は、隣県に引っ越しが決まって四年間の在籍だったけれど、この人についていけば大丈夫・安心という力量をもっている上司との出逢いは、宝になった。
とはいいつつ、46歳になった今、職探しの悲痛な現実を真に受けてノックダウン中である。履歴書さえみてくれない会社もあった。面接する気がないなら、決まってしまったなら、そういう連絡があってもいいんじゃないかと思ってみたり。45歳からの職探しって、こんな現実しかないのかなと、つくづく哀しくなってくる。仕事はやはりきれいごとではないのだ。