【 努力賞 】
【 テーマ:多様な働き方への提言】
障害者でもいいじゃない!多様な働き方への提言
熊本県  田 中 誠一郎 46歳

「先生が障害者だってわかったら、学生はどう思うでしょうね?」

「学生の親御さんはどう思うでしょうね?」

「そこをよく考えてみてください」

こんな言葉が上司の口から出てきました。私はあまりの衝撃に、何も言い返すことができませんでした。

私は職業訓練校の指導員を務めています。それと同時に精神的な持病があって、精神障害3級の障害者手帳を持つ身なのです。手帳を交付されてから10年くらいになりますが、その間も定期的に薬を服用しながら仕事を続けてきたのです。しかし授業中時折体調が悪くなることがあり、それならばいっそ学生に私の病状を話したいと上司に相談したのです。その結果が冒頭の言葉でした。まるで障害者から授業を受けることが悪いことであるかのような言葉でした。私が障害者であることを学生にカミングアウトすることは、そんなに悪いことなのでしょうか?

また、別の上司からは次のように言われました。

「田中先生は先生なのだから、授業が滞るようなことがあってはいけませんよね?」

「それでは先生とは言えませんよね?」

私はただただ悲しくて悲しくて、言葉に詰まってしまいました。私が望んでいるのは、もし授業中に体調が悪くなったときに授業を中断して薬を飲ませて欲しいだけなのです。薬を飲むことを学生に不審に思われないために、自分の病状をあらかじめ学生に伝えておきたいだけなのです。しかしそれでは、冒頭の上司には精神障害者から授業を受けることがまるで学生と保護者から不審に思われる、悪いことのように思われるかのごとき言葉を突きつけられ、別の上司からは先生失格と受け取れる言葉を突きつけられたのです。

 精神障害者になって、いつもこういう問題にぶち当たってきました。身体障害者と違って精神障害者は見た目では障害者だとわかりません。もし車椅子の先生だったら教壇に立つことを許されるのでしょうか?職場も身体障害者にはちゃんと配慮してくれるはずです。私も身体障害者の方には、ちゃんと配慮しておつきあいをします。何も言われなくても障害者だとわかるからです。しかし、精神障害者はそれと言われなければわからないのです。

 私が私らしく働いていくためには、持病の薬は欠かせません。そうでなければ精神障害者は働く場を失ってしまいます。しかしこのことは逆に言えば、薬さえ服用していれば健常者と同じように働くことができることを意味しています。いや、確かに小さい部分ではできないこともあります。私の病気では公共交通機関などの乗り物に乗ると発作を起こすため、出張業務に支障を来しています。しかし私はその分を補うために内勤で授業を増やしてもらい、他の先生と仕事量のバランスを保つ努力をしています。私にできることを精一杯頑張ることが、学校のために働いているという意識があるからです。

 私の職場は公共施設です。地方自治体の一部であるのですから職員に健常者もいれば障害者もいます。過去には車椅子の事務員の方がいらっしゃいました。それと同様に精神障害者の先生がいてはおかしいのでしょうか?私は学生に変なことを口走ったりするようなことはありません。むしろ田中先生の授業は良かったと言ってくれた学生も過去にはいたのです。私はそういってくれた学生の言葉を心の糧にして、今日も教壇に立っています。今のところ学生には精神障害のことは伏せていますが、いつの日か私の病状をオープンにして授業ができる日が来ることを望んでいます。そのときこそ私は精神障害者でも社会に出て働くことができることを、健常者の方に証明できることができると思うのです。精神障害者であっても私の願いは、一人でも多くの学生に田中先生の授業を受けて良かった、出会えて良かったと思われることです。その日を夢に見つつ、これからも全力で学生達に接していきたいと思っています。

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