平成18年1月1日、人口14,000人の一志町は、津市を中心に近隣九市町村と合併し29万人の市(津市)となった。役場は支所と名前を変え権限や人が本庁に集約されていった。支所はまるで不景気により相次いでテナントが撤退した百貨店のようになってしまった。
「迷い犬がいます!」住民から電話が鳴った。軽トラックで現場に急行すると、ゴールデンレトリバーが徘徊している。頑強な体躯をしているが、おとなしいため荷台に繋ぎ支所に持ち帰った。「家はどこだ?」
私が問うても、黙秘を貫く犯罪者のように押し黙りその表情から答を読み取れない。以前なら、防災無線マイクを握り「ピンポンパンポーン♪ こちらは広報いちしです。雄のゴールデンレトリバーを役場で保護しています。心当たりの方は役場までご連絡ください。ピンポンパンポーン♪」町内に放送すると、たちまち解決する。しかし合併後、防災無線の用途が統一され災害情報以外使用できなくなっていた。飼い主が現れない場合は、保健所で殺処分となる。「わたしを助けてください……」愛情溢れる瞳が語っている。私たちはある一室を提供することにした。それは、町長車が止めてあった車庫である。合併前に各市町村にあった黒塗りのクラウンは一台のプリウスとなったため空となっていた。ただし、役所で犬を飼うことはできない。私たちはゴールデンレトリバーを公用車として認識するため名前をクラウンと付けた。散歩は職員が交代で行った。クラウンは金色に輝く美しい毛をした犬だったので、散歩しているとたちまち町中の人気者になり飼い主が見つかった。
「道に猫が捨てられていた」下校途中の少年が段ボール箱を抱えて窓口にやってきた。お役所ルールを適用すると、猫は保健所に送致され殺処分となる。「飼い主を見つけるまで預かってください!」
「無理やな……」少年は細いため息をついた。それは寂しい秋風のような音をたてたので私は翻意し、ある一室を提供することにした。それは合併後、主がいなくなった町長室である。
私たちはスーパーなどに張り紙をしたが貰い手は一向に現れなかった。その時、私の頭に天来の啓示のごとく考えが閃いた。市役所になった現在、一人一台パソコンが導入されている。私はメール機能を活用し全職員に、「里親募集!」の件名とともに愛らしい猫の写真を添付し、一斉送信ボタンをクリックした。しかしその直後、本庁からお叱りの電話が鳴った。役場時代なら上司が見て見ぬふりをしてくれたがそうはいかなかった。猫の保護や里親探しは業務外であるからだ。私は自分の迂闊を呪ったが放ったメールは取り返しがつかない。この日から町長室の扉は固く閉ざされ、関係者以外立ち入り禁止となった。「猫を貰ってくれる人が見つかった!」下校時に毎日ここを訪れ猫の世話をしていた少年は、喜色満面の笑顔である。「役場のオジサン、どうもありがとうございました!」少年は白いスニーカーのつま先を見て礼儀正しいお辞儀をした。猫を町長室で飼っていたことはくれぐれも内密にするようにと口止めし、私たちは固い握手を交わした。
平成の大合併は、バブル経済崩壊後の厳しい社会・経済状況を背景に、国の主導で行財政基盤を強固にしようと行われた。その後、旧一志町役場は取り壊され新庁舎が誕生し、駐車場も広くなり利用しやすくなった。しかし、職員が減り地域に根差した細やかな対応が犠牲になった。新しくなった庁舎には猫や犬を世話する場所はないけれど、ここに相談にくれば真剣に耳を傾けてくれる人がいる。そんな役場のオジサンに私はなりたい。