仕事は生活費を稼ぐ手段で趣味の延長線上にあるモノではない。手に職を持ち安定した仕事に就きなさい―これは私が学生時代、母から何度も聞かされた言葉である。
私は平成九年、某市立病院に看護師として就職した。看護師に憧れていたわけではない。資格を持ち、リストラの心配がない公務員に、両親が希望していた職に就いたのだ。両親は喜んだ。そんな親を見て私自身も嬉しかったし誇らしくもあった。
実際仕事を始めると、看護師という仕事は思っていた以上に雑務が多く過酷な仕事だった。不規則な三交代、時間的余裕のない業務の多さ。患者様を目の前に、経験不足から来る緊張感との戦い。生きるか死ぬかに関わる処置の数々。テレビで見聞きするような憧れるべき「白衣の天使像」は嘘だと知った。業務に追われ患者様の訴えに傾聴する十分な時間が持てず、「いったい自分は何をやっているのだろう」と自問自答する日々が続いた。帰宅する度に「辞めてやる!」と泣き叫び、「辞めて何ができる」「何もない。どこにも再就職できない」とここでも自問自答。朝日が昇ると心は一気に重くなり、心と連動するかのような重い足取りで病院へ向かう日々。笑顔が観たい人を笑顔にしてあげられず、付き添ってあげたいのに業務が終わらず自分の経験不足と力不足に悔しく苦しむ日々。いつになったら経験が実を結び業務が時間に追われることなくこなせ、本当の意味での理想の看護ができるのか。心の内を隠すかのように必死で笑顔をつくろう。いつ辞めてもおかしくなかった日々は数ヶ月続いた。そんな中、患者様やそのご家族からの感謝の言葉「ありがとう」が嬉しくて。「ありがとう」の感謝の言葉の力に励まされたといっても過言でない。
ある日、患者様を看ていると思っていた自分が、実は反対に見られ励まされていたのだと気がついた。励まされながらも必要とされていた事実。自分自身は何もできない存在ではないと知った瞬間でもあった。
それから私は、「業務が忙しい」を自分の心の中でも決して言い訳にする事がなくなった。プロフェッショナルを目指そうと心に誓った。そしてこれが、日常生活の充実感にも繋がっていった。
看護技術は積極的に実施回数を重ね、疾患や薬を再度学習し、看護記録も手を抜くことなく丁寧に行った。ベッドサイドに立つことを最優先とし、他の同僚が得られない患者様の情報を何気ない会話から得る努力もした。もちろん、就業時間内に自分のすべき業務を終える事も心がけた。いつしか無理に笑顔を作る必要はなくなっていた。
看護師は私の憧れの職業ではなかったが、私は人と会話する事が好きで、人の喜ぶ顔を見ることが好きだった。だから、ベッドサイドに立つ時間を作る為に業務を早く終える努力ができ、努力する事で自分自身の技術力アップを体感することが出来る様になり、仕事を楽しみながら行えるまでに成長できたのだと思う。
きっと誰にでも得意な事、好きな事、無心になれる事があるはずだ。そしてそこには必ず、努力し続ける価値があり、自分自身を磨き成長させてくれる何かがあるはずだと私は思う。
私は就職する前までは、働くという事とは、単に生活の糧を得る為だと思っていた。しかし就職し、理想と現実の狭間でもがき苦しむ中、働くという事が意味する本当に大切なものを学んだ。働くという事は、努力と勉強を続ける事で、それが続けられて初めて自分自身の存在価値を成立させる事ができ、日常生活の充実感を得る事ができ、一人の人間として社会と繋がることが出来るのだという事を。