【 努力賞 】
【 テーマ:仕事を通じて実現したい夢】
母からもらったメッセージを若者へ
新潟県  玄 光 38歳

5月8日午前7時1分、母が逝った。父と私、病棟の看護師さんの3人に看取られながら穏やかに逝った。その母との最後の2週間は社会との繋がりの大切さ、働く意味を改めて学ばせてくれるものであった。

乳癌の産物、右腕のリンパ浮腫により、家事と仕事と良く働いた母の温かい手が効かなくなるのに時間はかからなかった。動かなくなった手は母から自由を奪い、介護を必要とした。家事と入浴は仕事から帰って来た私の役割。父は母の身の回りの世話を一生懸命した。ただ癌は猛威を奮い、母に容赦はなかった。右腕全体が腐り始め、70歳の誕生日を迎えた翌月に入院。最初は明るく振舞っていた母も、次第に元気をなくしていった。そんな母を見て「お母さん、お家に帰ろう」「大丈夫らよ。お父さんもお母さんが何時でも帰っていいようにベッドも頼んであるし、訪問看護の看護師さんも来てくれるよ、お部屋も綺麗だし、安心して帰ってこいて」と抱きしめると泣きながら「かおりちゃん、帰りたい。帰ってもいい?」と抱きしめ返してくれた。母が退院してくるのに不安は大きかった。寝たきりで筋肉がなくなった母は歩けなくなり、体力も無かった。『もし退院して直ぐに病院に戻ってしまったらどうしよう。寿命を縮めてしまうかも知れない』『父と私で支え切れるだろうか』と様々な心配が頭を駆け廻ったが、とにかく母にもう一度我が家に帰って来て欲しいという気持ちで掻き消した。

退院した母と過ごした2週間は夢のようだった。帰宅して直ぐに母を抱きしめる。それからご飯を作り、父が食べさせた。腐った右腕は毎日洗浄して薬による治療が必要であった為、訪問看護の看護師さんにお願いした。毎日笑顔で来てくれ、2人がかりで入浴介助と治療をしてくれた。母のケアマネさんは常に声を掛けてくれ、困った事がないか、母にも家族にも気を配ってくれた。御近所の方からは励ましの言葉をかけてもらい、母の長年の友人からは「夕飯に食べてね、味は保証できないよ」と温かい差入れが届けられる、感謝の日々だった。たぶん私と父だけではどうにもならなかったし力尽きていたと思う。母が最後の2週間を自宅で過ごすことが出来たのは社会との繋がりがあったからに他ならない。正直、ベッドに入浴介助品、その他雑費、訪問看護に掛る費用はどれ位になるだろうか不安だった。それに加え入院医療費。娘として恥ずかしい話だが、切実だった。ただ、それも介護保険や医療保険によって驚く程負担が軽減され助かった。税金って大事だとつくづく思った。そんな家族の金銭的な悩みにもケアマネさんや病院のCWが一生懸命調べてくれて、母にとって一番何が最善かアドバイスしてくれた。たぶん私と父だけでは叶える事が出来なかった母との2週間。お陰で思いを残すことなく母を見送ることが出来た。

 母は子どもの頃から家の手伝いをよくし、働き者だったと聞く。母は友人、会社の同僚や地域の人たちとの縁を大事にし、お世話になった人には恩を忘れなかった。その母から最後に学んだことは、『働くこと』の大切さ、尊さだ。私達は『働くこと』によって生活の維持をしているだけではない。実はどんな働き方をしていても、誰かを助け、誰かの生活を支えている。出会ったことのない誰かの大切な命を支えている。健康で働ける今の私がとても幸せだと再確認させて貰った。

今、働くことに『意味』や『価値』を見いだせず一歩踏み出せない若者が大勢いる。そんな若者達に私は精一杯、エールを送りたい。

『働くことに意味なんか要らない。ただ、働くことできっと誰かの役に立てる、巡り巡って自分もまた助けられる。家族や地域社会から守られていた自分。今度は君が働くことで周りを幸せにしよう』と。そのメッセージをこれからも若者に伝え続けること、それがこれからの私が働く意味であり夢であり、母からもらった最後のメッセージだと信じて…。

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