理想と現実の間で思い知ったこと
「働きがいのある職場、風通しのいい職場って言うけれど、そんなの理想です!」
現場の声は切実だ。
私は鹿児島で、病院の看護師や介護施設のリーダーを対象に研修事業をしている。この仕事を始めたきっかけは、“頭でっかちで正義感と正当性を盾に息巻いていたリーダー”が奮闘の結果、メンバーを敵に回してしまい誰からも信頼されず、志も半ばにリーダーの座を降りるどころか退職に追い込まれた・・・という私自身の過去の痛い経験だ。
退職後にいろいろと解放されて自分と向き合う時間ができた。そのおかげで、あの日の私に何が足りなかったのかに気づき、今あの日の私と同じように奮闘しているリーダーに伝えられることがあると信じ、対話と学びの時間を共有している。
人材育成は重要だけれど緊急ではない分野で、人が育ったからと言ってすぐに売上につながるものでもなく、企業では後回しにされがちなテーマだ。それでも私は、少しでも早く取り組んでほしいと社長や研修担当者に伝える。なぜなら売上をつくるのは人であり、人は疲弊や消耗してしまえば替えが効かない貴重な資源だから。これだけネット社会になってもなお退職理由の1位は人間関係というあたり、「わかっちゃいるけど、なかなか時間も予算も取れない」、理想と現実の間をさまよう永遠のテーマなのだ。
価値観が多様化している今、企業で働く人々の気持ちを1つにしてモチベーションを上げようなんて不可能に近い。経営理念をちゃんと理解している従業員はいったいどれだけいるだろうか。そもそもビジョンを語れるリーダーなんて・・・
あるリーダー研修でのこと。会場に揃った20数名のリーダーからは使命感や正義感、女性らしい朗らかさと凛とした強さが感じられ、身が引き締まる思い。大事なことをできるだけシンプルに伝えることと、「あるべき論」ではなく「ありたい姿」を自分の言葉で語りイメージできる時間にしたいと願い、研修に臨んだ。最初はなかなか手があがらなかった会場も次第に活気と笑顔が溢れていた。よしよし、この調子。
2時間が経過して最後のプログラム。リーダーに必要な力のひとつ「可能性を信じる力」について私がストーリーを語る番だ。
起業してもうすぐ3年。好きなことを仕事にする個人事業主というのは幸せな反面、苦労も多い。営業、広報、経理まで1人でやらなくてはいけないし、自分の名前で仕事をするということは全責任を自分で負うし、失敗すれば次はなく、収入も安定しない。練習試合はなくいつも本番。そんなプレッシャーと闘っている。
ある夜、私は夫に弱音を吐いた。「もう辞めて、勤めに出ようかな」。その時、彼が言った。「世の中で、好きなことを仕事にできる人はうんと限られている。君はその限られた世界にいるよね。大変なのは分かるし、無理しなくてもいいとも思う。でもね、そんな君を誇りに思っているんだよ」
「可能性を信じてくれた」と感じられたエピソードを紹介したあと、グループワークでそれぞれの大切なストーリーを語ってもらう。会場内ではすすり泣く声もあった。リーダーにとって、自分を支え奮い立たせてくれるストーリーは何よりの原動力だ。
2時間半の研修が終わり片づけをしていると、1人の女性が駆け寄ってくれた。
「先生、ありがとうございました。実は私、昨日リーダーを辞めますって伝えたんです。だからこの研修に来るのも辛くて・・・」
ハンカチを握りしめた手は震え、目には涙を浮かべている。
「でも今日、研修を受けて、まだやれることがあるかもって思いました。もう少し頑張ってみます!」
私は思い知った。この瞬間を味わうために人材育成を仕事にしているのだと。ストーリーを語り、ビジョンを語るリーダーを育てること。それが私の使命だ。