【 佳 作 】
若者に、『学職分離』と言ったら『なに それ』と、にらみつけられた。
大学を卒業したものの、思うように就職できず悩んでいる若者に、いいアドバイスをするどころか、冷たくつき離すような言葉を言ったんだから、怒るの当たり前かも。
「夢に向かって、あきらめないで頑張れば、必ず叶うよ」と、先生や親に励まされ進学し勉強したのに学んできた事を生かす仕事がないといった社会状況、さあどうしたらいいだろう、と
動物は餌が取れるようになれば巣立ち自立する。複雑な人間社会では、色々学び、仕事が出来る人間になって自立する、人間の自立は働いて、お金を稼ぐ事だ。
人生で一番悩む時は、この自立の時のようだ。成人してから、いつまでも親の脛かじりは出来ない。自立しなければと思う。
どの人も、成長する過程で人には持って生まれた能力がある事を知り、それぞれ自分に合った進路を決め学び、いざ就職と社会に出たら、思うようにいかない。
こんな筈じゃあなかったとやけになり、むしゃくしゃして事件を起こしてしまったり、人生終りにしたいとバカな事をする人もいる。
豊かな日本に生まれ育った若者、挫折を知らない若者にとって味わった事がない試練だ。
私達の年代は、生か死かの戦争体験者。ただ生きる事、食べる事しか考えなかった。悩んでいる暇なんてなかった。とにかく、がむしゃらに働き生き残った。
そんな私だから強く言える。
「成人したんだから、働いて自立しなさい。悪い事しなければ、仕事はなんだっていい。若いんだから何でも出来る。お金をもらうんだからちゃんと働くんだよ。食べて行く為の大事な職業なんだから。夢は夢として別な方法で叶えたらいい」
戦争と父の死で、生きる為に思ってもいない仕事についた私。この仕事、自分に合っていない、やめようかと思った事が何回もあったが、止めたら食べていけない。私は、お金をもらう事だけ考えて働いた。
給料をもらって、仕事に感謝しているうちに仕事が楽しくなり、もしかしてこの仕事が私の天職かもと思えるようになった。
そして、18歳から42年間、働いて60歳で定年退職した私は、心の奥にしまっていた子供の時からの夢を別の形で叶えた。
美大に行って、絵の勉強をして、それを生かした仕事(デザイン)をしたいと思っていた。私は、美しい物を見て歩く旅をした。
国内はもとより海外も足腰の丈夫な60代、70代は美術館めぐりをしていた。
85歳の今、大変な人生だったけど、私の人生の花は、なんと言っても働いていた42年間だと思っている。
色々な人との出会い、それは私の人生を豊かにしてくれた。
仲よしだったかつての同僚はほとんど亡くなったが、生きている者同志、今でも交流しあっている。
『元気だか』『まだ、生きているよ』の言葉から始まり、食事会をしている。仕事を通しての付き合いは深いもので、一生の付き合いになる事もあり、老後の人生を楽しくつくれる。
「学問は、自分を高める教養と考え、仕事はお金を稼ぐ手段と割り切ってやると、気が楽だよ」と、仕事で悩んでいる人に言いたい。