【 佳 作 】
初めての海外出張は、中東の『アラブ首長国連邦』のプラント工事だった。米・英・独の企業は、機械の製作と据付工事を請負い、搬送設備の組立、据付を韓国の企業に発注した。
私は、元請である我が社のスーパーバイザーとして赴任していた。任務は、プラント全般の工事日程、品質、安全管理の責任者である。工事が始まると、据付工法や安全作業に対する認識、思想面に於いて企業間で差異があることが判った。
想定される諸問題の解決策を、海外工事に実績がある先輩からアドバイスを受けていたが、想定外のトラブルが発生し、現実は厳しかった。
宗教の戒律が厳しいイスラム圏。50度近い灼熱地獄の現場は、過酷だった。現場での作業指示は、略図を駆使して説明すると意図が通じた。文法通りの会話でなくても、度胸と誠意で接すると理解してくれた。韓国企業の高所作業者は、命綱、ヘルメット等の安全保護具を着用するので、安心して任せられた。基礎工事、建屋の建設が工程通りに進んだ。
米・英・独の企業によるクレーンの地組、機械搬入と建屋の上架作作業が始まった。米国人の技師は、上半身が裸で半ズボン姿。保護具を未着用で、危険な高所作業の指揮を執っていた。「保護帽と命綱を使用してくれ!」と命じると「自分の安全は自己責任だ」と米国式のスタイルを主張する。ひと悶着あったが、終始彼等の流儀を貫いた。日本と米国の安全文化の相違を痛感した。建屋の一部門と機器の据付は、英国企業の範疇。T技師は追加工事費を請求するので理由を訊いた。「支給材を現合したが、食み出た箇所をガス切断した。余分な作業は図面にないので契約外だ」と主張して譲らない。その程度の予定外作業は、日本では請け負い企業のサービスなので「些細な作業はサービスだろう?」と無視した。が英国では『就労報酬』のことだと言い張る。帰国後、先輩に質すと、英国でのサービスは『有償』の意味をさすとのことだった。
一方、米国人は、就業時刻に拘った。五分ほど延長すれば片付く事も、終業時刻になると、作業の途中であっても中止して帰る。「仕舞いしてから帰ったら?」と忠告すると「そんな契約でない」と拒否する。契約社会、融通がきかない国民性の一端を垣間見た。
ドイツ人は、臨機応変で協調性がある。同じ欧米の企業であるが、作業方法、安全管理面に差異があった。国によって考え方に齟齬があったが、約束した納期、品質管理は徹底していた。工程、技術面では終始安心して任せられた。どの企業も手抜き工事がなく、契約通りの工程を遵守してくれた。
工事が終盤に差し掛かり、各サイトは追い込み体勢に入っていた。顧客に引き渡す一ヶ月前。テストの日程を調整する会議をしていると『父危篤』の報が入った。
出張に出る前、長期入院していた父を見舞った時「工事期間中、病状が急変しても工事完了するまで帰国するな」と釘を刺されていた事が脳裡を過った。工程表を睨みながら、帰国を躊躇っていると「仕事と親とどちらが大事か!後は我々に任せてもらえないか。予定通り工事を完成さす自信がある。すぐに帰国すべきだ」と背中を押された。
四か国企業の技師の言葉を信じ、帰国を決意した。帰国して三日後、父は永眠した。
葬儀を済ませて現地に戻ると、危惧していた工事の遅れ、トラブル等がなく、工程通り、無負荷テストに入っていた。怪我人もなく、順調に進捗していた。
彼等に感謝の言葉を述べた。「契約を守って、約束通りの仕事をするのが我々の任務だ」と高笑いした。工事期間中、様々な確執、トラブルがあったが、彼等を信じて一緒に仕事が出来たことを誇りに想っている。