【 佳  作 】

【 テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
仕事は楽しもう
東京都  高 野 美奈子  68歳

1971年。今から丁度45年前、私は大学を卒業して、大学紹介で東京のコンピューターの会社に就職した。大学は立命館の法学部だったが、厳しい父が、鹿児島への帰郷をしなければ送金はしないと命令していた。

それに逆らっての東京での就職は、まず給料の多い会社であることが必須条件だった。

当時、大学が紹介してくれる女子学生のための高給な仕事は、コンピューターの会社しかなかった。

東京には叔母(母の妹)と家族が居て心強かったが同居は難しかった。

私が入社したコンピューターの会社は、連日研修だった。毎日、九時から昼食時間をはさんで、午後三時まで講義があり、三時から五時まで、その日の講義の内容のテストがあった。そして、その結果を各人の名前の上に毎日棒グラフで積み上げて行った。各人の成績は一目瞭然だった。

上位は、既に大学で習得済みの理数系の人々で、頭が文系の私にとって、ソフトウエアは理解できても、ハードウエアは毎晩二時三時まで勉強しても、さっぱりで苦しかった。私は退職しハローワークに行った。

そこには案外一流会社の求職先もあり驚いた。しかしコンピューター会社での失敗は私に会社名ではなく、職種を選ばせた。今はもう存在しないが『京都国際ホテル』と『ホテルフジタ』の予約と案内の仕事があった。

両方とも学生時代お茶をしたホテルで親近感があった。私は飛びついた。しかし給料は36,000円で、コンピューター会社より四千円も少なかった。厳しい生活を覚悟して面接に及んだ結果、無事に採用された。

当時、この二つのホテルは藤田観光の子会社だったが、藤田観光の本社の仕事と何も変わらなかった。嬉しかったのは、社員食堂の利用が藤田観光の本社の社員と同じ90円で食べられた。コンピューターの会社には社員食堂はなかったので、一概に、見かけの給料だけでは、決められないと納得した。

また制服もあり、薄給だった私にはありがたかった。

仕事は断然楽しかった。主に旅行会社からの宿泊予約、変更、キャンセルなどだった。学生時代、憧れだった旅行会社の方達とのやり取りは嬉しかった、藤田観光の社員ともすぐに仲良くなった。

入社して一年後、二つのホテルは、藤田観光に吸収合併されて藤田観光の社員になった。

藤田観光の各施設を知る必要があるとのことで、施設への出張は、旅行好きの私にとって天職だと思えた。

当時営業していたグアムのホテルへのテレックスなるものの通信も、学生時代タイプライターを習っていたのでクリア出来た。

シーズンになると、残業が三時間に及ぶこともあった。しかし、その仕事が根っから合っていた私は苦にならなかった。むしろ残業すら楽しんだ。

若い方に申し上げたい。就職先を決める場合は、学生の人気ランキング上位だからとか、仕事をする場所がカッコイイとか、高給だからとかより、自分の適性を最優先すれば就職後、悩まなくて済むかも知れない。もちろん、適正は実際に仕事をしてみなければわからない場合もある。

私の場合、コンピューターの会社で毎日、棒グラフで点数を積み上げられなかったら、退職しなかったかも知れない。成績の良い人には快感かもしれないが、悪い者にとっては、恐怖以外の何物でもない。

早々に退職する前にハローワークを訪れる手もある。給料には載せていない福利厚生が手厚い会社もある。それらはハローワークで分かる場合もあるし、ネットで調べることも出来る。お金では計算出来ない素敵な福利厚生があるかも知れない。

何はともあれ、若い方が、生きいき、楽しく使命感をもって働かれるように願う。

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