【 佳  作 】

【 テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
新しい私を発見
高知県  青 春 野 郎  67歳

私は、現在67歳です。18歳で、地元、滋賀の大学に入学して、オープン直後の賑わっていた大型スーパーでアルバイトを始め、働く事に大きな刺激を受けました。そして、実家を離れ、キャンパス内にある大学の寮に入り、毎晩、たくさんの仲間と意見を交わしながら、自分の考えが少しずつ固まり1年半後、ついに行動に出ます。私の目指す、実社会を知る教師になるために働こうと、大学を休学し、夜行列車に飛び乗りました。

翌日の早朝に上野駅のホームに降り、拾ったスホーツ紙で、食事と住まいが保障される、住み込みの新聞配達員募集を探し、社会人スタートをしました。半年後、一度、大学に戻り、今度は大学を中退し、再び上京し、本格的に就職します。新規オープンのスポーツクラブ(神奈川県)、地域の街づくりの中核・3セク施設の再建2箇所(高知県・熊本県)、地域活性化に期待の大きい「道の駅」では新規も含め4箇所(高知県2・熊本県・大分県)、そして、最近は、子供にとって大事な中学生時代となる中学校の4校(高知県4)で支援員の仕事にしてまいりました。

どの仕事も、その当時、まだまだ、社会の中では、あまり注目されていませんでした。しかし、私には、どれもが新鮮で勢いが感じられ、夢をどんどん拡げてくれる職場でした。数え切れないほどの不採用を踏み越え、運良く採用してもらった職場では、全力投球を心掛けました。そして、経験した事のない壁にぶつかり、行き詰れば、立ち止まり、継続か、新天地かを選択しました。この間、長い職場が19年間、短いのが、1日でした。

私は、今年の3月で、中学の支援員を終了しましたが、嬉しい報告をします。この春、私が関わった生徒が全員、希望の高校に合格出来ました。男子生徒は、工業高校3人、看護学校1人、普通高校1人、女子生徒は、普通高校2人。私立女子高校2人でした。みんな、かわいいです。高校では、ギター部、茶道部など楽しくやっているようです。

その後の私は、現在まで、苦戦の就活をしております。この間、私が挑戦し面接までこぎつけた就職先は、7ヶ所。しかし、残念ながら全て不採用。まだまだ、私の中に情熱とパワーは満杯ですが、社会は思い通りには行きません。

この経験を通じて、実感していることは、私にとって働くことは、自己表現、生きがいだと思います。そこには、常に葛藤があります。社会は、私に新しい自分を発見させるために、私を撥ね伏せ、苦しめます。これに対して私は、全力で自分をぶつけます。これを繰り返し、終わりのない戦いを続けています。この戦いを続けるには、強く、絶えることのない、エネルギーが必要です。

私にとっての、このエネルギー源は、友人、友達、同志とのコミュニケーションです。今までの旧友を大事に、そして、新しい友人を作りに励んでいます。なかでも、若者、子供たちの輪の中に入れるよう、感性と体力を磨き、精進に努めています。この輪の中には、無限・無尽の宝があるように感じます。

私が、このエッセイに応募を重ねているのもその一環です。今回は、何を発見出来、どんな視野が広がり、誰に会えるかワクワクです。楽しみにしております。

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