【 佳 作 】
相反するような言葉ではあるが、みんなとコミュニケーションを取りながらも、少しずつ距離を置いていくようになるだろう。熱意を決意に変えようとする気持ちがあったとしても、それを阻む体力的な衰えや環境等の要因により方向修正や停滞も余儀なくされるだろう。
7年前、建設業から介護の世界に転身した私の職場は特別養護老人ホーム。認知症や身体の障がいを伴うお年寄りが大半で意思疎通の難しい方も多い。忙しい時間に追われる毎日だが、施設の玄関からはリアス海岸の海や柑橘で有名な山々、それを包み込む青い空が一望でき、四季の移り変わりを感じながらジェスチャーを交えた会話が始まる。心休まるひと時でもあり、私もこの時間が好きだ。
しかし、最近は少し様相が違ってきている。遥か水平線の彼方は九州。熊本県や大分県を中心とする地震で景観より九州の地に思いを馳せ涙ぐまれるお年寄りもいる。災害の度に思うのは同じ境遇のお年寄りのことで、体を包む衣類や洗濯、三度の食事や栄養状態、入浴や脚を伸ばして静養できるスペース、そして何より心細く不安な毎日を励まし合う人は近くにいますか・・・と。
施設から見える穏やかな海とは異なり私の心は寄せる場所がない。
静寂が続き私は言葉を失うがお年寄りの目は水平線を見つめ、不自由な手は互いを重ねようとされている。震える唇は思うような言葉にはならないが、思いを込めた祈りの先に、愛する人や家族や親戚、友人、知人や、将来出会う人がいるとしたら直ぐにでも空や海を越えて会いに行きたい。そうした熱い思いを気付かせ教えてくれる人が私の身近にいる。
私の中で何かがかわろうとしている瞬間でもあった。
父が他界した時には同僚の励ましや労りがどんなに嬉しかったか、何も知らないお年寄りは「体悪かったが?ようなったけん出てきたんよな」と満面の笑顔で私を迎えてくれた。横たわるベッドの上から拘縮や浮腫の体で「もう行かれんぞ」とも言われた。
未曾有の災害やお年寄りの言葉は私達に立ち向かう勇気と人の温かさを教え、思いを共有する心は更なる広がりを見せようとしている。
そして、感傷的な心は今日、明日、将来へと働くことで学び、本当の熱意から決意へと変わりこれからも私を育てようとしている。