【 佳  作 】

【 テーマ:仕事・職場・転職から学んだこと】
中卒のキャリアウーマン
京都府  山 本 未 月  53歳

 「きょうは、はやくおむかえにきてね」泣きながら保育士さんに抱っこされ、出勤を急いで園を立ち去ろうとしている母に向かって必死で手を伸ばしている女の子。遥か昔の私だ。それが私の「働く女性」に対する原風景。その頃、保育園に子どもを預けて働いているお母さんはまだ多くはなかった。近所の子ども達が家で母親や兄弟たちとゆっくり過ごしている時、私は朝早くから夜まで保育園で生活していた。母親が同じ職場の子ども達もいて、朝は同じ時間帯に登園するのにお迎えの時間だけはいつも私が最後だった。どうして私の母だけが遅いのか不思議だった。そして時には父が迎えに来てくれたこともあった。父親が迎えに来る家も滅多になく、私は「みんなと同じ時間にみんなと同じようにお母さんに迎えに来てほしい」と思っていた。結局「早く迎えに来てくれる」ことも「毎日母が迎えに来てくれる」こともなく卒園した。

 私は自分の母親のような働き方だけはけっしてするまいと思いながら成長した。子どもに寂しい思いをさせ、家族に嫌な思いをさせても働き続ける意味なんてあるのかと思っていた。小学生の頃「いつお仕事を辞めてくれるの?」と尋ねた私に、母は「あなたが中学生になったら」と答えた。小学校を卒業する時、ドキドキしながら母の「退職宣言」を待っていたが一時しのぎの答えを母が覚えているはずもなく過ぎ去った。

 母に期待することも母を理解することもあきらめてしまった私が母の思いを知ったのは、それからずいぶん後に短期間母の勤め先で働いた時だった。大きな組織で母と顔をあわせることもなく過ごしていたがどこからかバレて古株のおじさんやおばさん達が教えてくれた。「何百人といるけど中卒はぼくと君のお母さんの2人だけ。役職も上がらんと給料も差がついて辛い思いもいっぱいした」そう声をかけてきたのは母と同じで何十年も勤めているのに主任のままのおじさんだった。母が中学を出て働き始めたのは知っていた。「中学しか出てないから難しいことはわからない」とよく言っていた。それでも高卒や大卒の人と同じ仕事を与えられ、黙々とこなしていたのだ。そのおじさんは続けて言った。「ぼくは男やし辞めたくても辞められなかった。でも君のお母さんは違う。共働きで辞めようと思ったら辞められたはず。それでも続けてきたのは仕事が好きだったからだと思う」

 おじさんの言う通りだった。母は「仕事が好き。仕事がかわいい」と言っていた。そして「仕事は正直。がんばれば応えてくれる」とも。好きな仕事に巡り合い、張り合いを感じていたのだ。

 また別の日に母と同期生の女性課長が話しかけてくれた。「こんな大きいお嬢さんになって。小さい頃は保育園の送り迎えが大変でいつも汗だくで走り回ってたの、私たち。特にあなたのお母さんはどちらの実家の支援もないし大変だったと思うよ。今残っているのは私も含めて親と同居か近くに親が住んで家事や育児をやってもらえた人ばっかり。唯一人あなたのお母さんだけが核家族のハンディを乗り切って勤め続けてきた人」その課長の言葉に、いつも大きな買い物袋を下げて帰り、家に着くとへたりこんでいた母の姿を思い出した。ご飯を作って洗たくして・・・。お母さん、ありがとう。同年代の多くの女性は「コンピューターが導入されて仕事についていけずほとんどの人がその時に辞めてしまった」とも聞いた。「あなたのお母さんは若い職員さんに頭を下げて何回も何回も練習し、やり直していたよ」そう教えてもらった時、長い間私の心の中に氷の固まりのようになっていた何かが溶けて、目から流れ出した。

 あの頃、私が保育園に通っていた頃、母も頑張っていたのだ。もし今でも働く女性が一人で頑張らないといけない社会であるとしたら「それおかしくない?!」心からそう思う。

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