【 佳 作 】
「働く」とは、傍(はた)の人を楽にさせることです。直向(ひたむ)きにコツコツと働いて、お家(うち)の方を楽にさせてあげてください。持ち前のやる気で、自分らしく仕事に打ち込めば、必ず素晴らしい未来が拓(ひら)けます。また学校へ遊びに来て、仕事の話を聞かせてください。楽しみに待っていますよ。
この温かみのある「働く」ことの意味を耳にしたのは、中学校の校長室で行われた就職者激励会でのことです。教頭のA先生が、鉄工所に就職するY君へ贈った言葉の一節です。
母子家庭のY君は、病弱な母親の暮らしを楽にさせたいと、高校進学の学力があるにも拘らず就職の道を選択しました。溶接や旋盤の技術を身につけ、社会で役立ちたいと常日頃語っていました。しかし、就労への希望を抱きつつ、自分が社会でやっていけるか大きな不安も感じていました。そんな彼の心を突き動かしたものが、母親の経済的支えになるという強い使命感であり、担任教師との親密な関わり合いでした。
中学教師になって三十年。何千人もの教え子を卒業させ、人生の指針を導くお手伝いをさせていただきました。その中でも、Y君は特に心に残る生徒でした。多感な年頃である中学三年間を、生徒と共に切磋琢磨し、生きる力を育むことは根気と信念が必要です。
文部科学省の調査によると、中学卒業後の生徒の進学率は全国平均で約97%にも達しほとんどの生徒が高校等へ進学するのが当たり前のようになっています。
一方、就職率は約0.7%で、居住する地域性や家庭の経済状況によっても異なりますが、Y君のように経済的理由で就職を余儀なくされる生徒も少なくありません。
経済的貧困は、拭いきれない負のスパイラルを助長し、学力格差を招く弊害を多分に秘めています。だからこそ、国や地域行政の支援と学校教育のきめ細やかな指導が不可欠となります。15歳で社会へ巣立つ子どもたちに、就労に関する適切な知識と真摯(しんし)な心根、そして福利厚生などを教示することで、どれほど心の安定を保てるか計り知れません。
中学校を卒業して就職することは、進学するより遥かに難しく、成人の大学生が就活するのとは本質的に異なります。
これまで義務教育という枠の中で守られて生活していたのが、いきなり社会の荒波に出航するのです。期待より不安や心配が心を過(よぎ)って当然です。中卒就職者に、社会貢献への心の資質を育み、離職を最大限に防止するためにも、学校現場での進路学習、とりわけ就業教育の充実が性急な課題と言えます。
生徒の発達段階に応じた系統的・具体的な指導を継続して行い、自己の適正や性格、そして職業観を学ぶ機会の設定が生徒の人生を大きく左右します。中学校の就職担当教師とハローワーク職員が連絡調整をより緊密にし、担任教師と生徒・保護者との円滑な進路相談実施の態勢構築が極めて重要です。
また、地域社会と学校との連携も大切で、地域で子どもたちを育てる取り組みが子どもの社会性の発達を促します。世代間を越えた交流を通じて、自己啓発の契機へと波及させることが生きる力の定着となるでしょう。
進路講演会を企画し、社会で活躍する卒業生の先輩の話を直(じか)に聞ける機会を設ければ、生徒の心に与える印象は絶大です。
社会で働くことの意義を中学生時代から学び、次のステップに進むための土台を培うことが、豊かな生き方へと繋がります。社会を構築し、支え、そして向上させていくのは、機械や物ではなく、心の通った人そのものです。人があってこそ、幸せに暮らすための礎をより盤石にできるのです。
校長室で就職者激励会の主役であったY君は、社会人三年目を迎えています。鉄工所で汗と油に塗れ、きっと今頃は傍(はた)のお母さんを楽にさせていることでしょう。逢うのがとても楽しみです。