【 佳 作 】
「どんなに一生懸命仕事をしても、『ありがとう』って言ってもらえない。それがイヤなので辞めます」
そう言って仕事を辞めた同僚がいる。
私の仕事はオフィスビルの清掃である。大きなオフィスビルで、床を磨いたり、出されたゴミを回収したりするのが仕事だ。大企業のオフィスビルでの作業なので、日々、たくさんの人の目に触れているのだが、「ありがとう」と言ってもらえることは、まずない。私の現場だけでなく、たぶん、ほとんどの清掃業者がそうなのだろうと思う。オフィスで働く人たちには床を磨いたりトイレを掃除したりしている人たちは見えているようで見えていないのだろう。「感謝されたい」「日々の作業をねぎらってもらいたい」、そう思っている人には、たしかにちょっとつらい仕事だったかもしれない。前述の辞職した彼を、私は責めることはできなかった。
世の中には「ありがとう」と言ってもらえる仕事ばかりではない。一生懸命働いても、「ありがとう」と言ってもらえない仕事もある。感謝に価しないのではなく、仕事の性質上、言ってもらえないのだ。以前私が経験した製造業や配送の仕事もそうだった。
ところが、それが平気な人たちがいる。高校から登校拒否になり、ずっと自宅に引きこもっていた人が私の現場に来たことがある。無口でとても繊細な人だったが、誰とも話さず黙々と作業をするという清掃の仕事が、この人には性に合っていたのだろう。「一週間ももたないのではないか」と最初は噂されていたが、いざ始めてみると勤勉に働き、ついにはアルバイトから正社員になった。そして、こういう人たちを、私は何度も見るようになった。
私の夢、と言っては大げさだけど、登校拒否や引きこもりの人たちにどんどん入ってきてもらいたい。それが私が一番望んでいることである。登校拒否、引きこもりという言葉からは「弱々しい」というイメージが感じ取れるが、実際の彼らはそうではない。極めて誠実で真面目である。それは社会で働くうえで、大変な財産である。
清掃業は、引きこもりがちな人たちにとって、ある種、魅力的な仕事に見えるらしい。「ファーストフードでスマイルするのはつらいけど、真っ黒けになって掃除しているのはそれほどつらくない」と言っていた元引きこもりの人がいた。私はそれはそれでいいと思う。人それぞれの働き方があり、職業観がある。社交的な人ばかりでは社会は成り立たないわけで、内向的な人たちの長所にもっと頼る必要がある。「人間関係の苦労さえパスすれば、ウチの息子は社会に働きに出られる」ある引きこもりのお父さんが言っていたセリフである。そうなのだ。怖くて社会に出られないという人たちは、実際は「働く能力がない」のではない。ちょっとしたハードルを除去してあげれば、働ける人たちなのだ。
引きこもりの人たちの清掃業界への加入をなぜこれほど求めるのかというと、私自身が彼らと接するのが喜びになっているからである。彼らは学生時代は大変な苦労をしてきたようだが、そのぶん、他者に優しく、周囲に配慮をする。言葉を選んでから発言する傾向があり、誰かを攻撃することが少ない。そういう人たちと接することは、私にとっても楽しいことなのだ。「働くことはつらいことばかりではない」「多少要領が悪くても、受け入れてくれる職場がある」そう思ってもらいたくて、私は今の仕事を頑張っている。
社会に出たくても出られない若者には、清掃業を一つの選択肢にしてほしい。
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