【 入 選 】

【 テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
教職から学んだこと
宮城県  及 川 守 67歳

 小学校の頃の私の夢は「大人になったら、観光バスの運転手になりたい」というものであった。修学旅行での運転手さんの一挙手一投足がとても格好よかったからである。そんな私が教職の道に進んだのは、兄の影響が大きかったように思う。

 私が高校生の頃、兄は長く勤めた小学校から中学校へと転勤になり、授業はもちろん部活動などにも一生懸命取り組んでいた。

 休みの日などには時々、教え子たちが自宅に集まり、兄を囲んで楽しそうにわいわい談笑していた。そんな光景を幾度となく見ているうちに、教職の道をいつしか志すようになった。「俺。教員になろうかな」と兄に話すと「教員の仕事は、お前が考えているほど簡単じゃないよ。目に見えない仕事だから、楽をしようと思えばいくらでも楽ができる。一生懸命やろうと思えば、時間がいくらあっても足りない。教師次第で子供は良くも悪くもなる。『教育は人なり』だからな。お前の将来のことだからじっくり考えて決めなさい」という厳しい口調ではあったが、思いやりのこもった返事であった。

 兄の励ましもあり、私は無事に教員になることができた。

 38年間の教職員生活では、多くの小学校(11校)の教員としての仕事ばかりではなく、大学の付属幼稚園研究生やK町教育委員会への派遣社会教育主事としての仕事なども経験させてもらった。

 そのお陰で、幼児から高齢者まで年齢、性別の違うさまざまな多くの人々と出会いがあり、普通の教員が出来ないような貴重な体験・活動が出来たと思っている。

 学校、幼稚園、教育委員会と場は違ってもいろいろな人と接する時、大切にしなければいけないことがあることに気付いた。

 それはあまりにも簡単すぎて、多くの人が見落としている「心身ともに健康であること」ということである。心も身体も健康でないと、相手のことが正しく理解出来なくなる。例えば寝不足などで心身共に疲れていると、いらいらしてささいなことで不機嫌になり回りの人に迷惑をかけたり、子供たちを叱ってしまったりしてしまうからである。

 このことは、兄が言っていた「教育は人なり」の根幹をなすものであり、その後の私の生きる指標ともなっている。

 私に教職の道を進めてくれた兄も、三年前肺炎で急逝した。

 その通夜に、見慣れぬ若者数名が弔問に訪れた。聞くと、兄は若い頃、海の近くの小さな小学校に勤めたことがあるが、その時の二年生の教え子だという。その学校のあった地域は、東日本大震災で壊滅的な被害を受け、復興も思うように進んでいない大変な状況の中、若者たちは新聞で訃報広告を見て駆け付けてくれたらしい。

 これを聞いて、通夜に来ていた親戚や近所の人は、皆感動した。今時、小学校二年生の担任を覚えている人など何人いるだろうか。しかも東日本大震災で、自分の家など流されて大変な時にわざわざ二時間以上かけて弔問に来てくれるなんて・・・私は、兄が生前言っていた『教育は人なり』ということは、こういうことなんだなあとしみじみ実感した。

 私は学校を定年退職後、気の合った仲間たち(宮城いきいき学園卒業生)と、さまざまなボランティア活動をしている。その中に、障害者の方々も健常者の方々も一緒になって演奏したり、歌ったりして音楽を楽しむ「とっておきの音楽祭」というものがある。毎年、この活動に参加してみて、教職員時代に身につけた貴重な経験が障害者の方々との心のバリアを無くし、溝を埋めるのに大いに役立っていると思う。

 これからも、今までの経験を生かし、一日一日を大切に地域のため社会のために、地道な実践をつみ重ねていきたいと思う。

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