【 入 選 】
働くことを通じて学んできた
もし、貴方が幸いにも仕事をしないでも生活できる環境にあり、そして仕事に出るかどうか迷っているとしたら、ためらわずに言おう。もちろん仕事に出た方が良いし、仕事は続けた方が絶対に良いよ…と。なぜなら人間は社会的動物であり、そしてその社会の中に座を占めることで、はじめて「人間」として成長できると思うから。そしてその社会に座を占めることが、英語で職業を表わすoccupationの語源であるというのは示唆的である。今は厳しい時代であり、いやがおうでも働かなければならないという人も多いだろう。しかしそういった場合でも、働かなくてもよい人をうらやむよりも、仕事をする自分をもっと前向きにとらえた方がよい。そんなわけで、自分の体験もふまえ、仕事をしてきてよかったこと、仕事から学んだことなどをあげてみる。
まず、なによりも仕事をしていることで自分の収入が得られるということは大きい。経済的自立と精神的自立は別だという考えもあるし、自分で収入を得なくとも豊かで幸福な人生があることは否定しない。けれども、専業主婦だった母は自分のために本一冊を買うのさえ、遠慮していたし、仕事を持ち収入のある友人をうらやましく思っていたことは子供の私にも伝わってきた。そういう母を見ていたせいか、自分にとっては、自立とはやはり職業を持って経済的に自立することである。
次に、仕事を通じての成長というものがある。この成長には、職業人として知識や技術を身につけるという成長と人間としての成長という二つの意味がある。前者については、どんな仕事であれ、仕事を通じて研鑽していかなければならないことがある。つまり、学生時代の机上の勉強や試験のための勉強ではなく、仕事で成果をあげるための勉強。そうしたものは、どんなに単調そうにみえる仕事にもあるのではないか。一見、つまらない仕事のようでも、全体からみれば、なくてはならない一部かもしれないし、相手にとっては一期一会なのかもしれない。後者については、様々な人間とつきあうことにより、礼儀を身につけ、他人の気持ちを忖度することを知り、そして周囲と調和しながら、目標を達成することを学んでいく。昔から、「社会の荒波にもまれる」とか「他人の飯を食う」といわれてきたものである。職場の人間関係は複雑である。同僚といえども「気の合う人」とだけ付き合うなどということは許されない。内心はどうあろうとも、職場の雰囲気をつねにみださないように挨拶をかかさず、職務に必要な報告や連絡は怠らないようにしなければならない。ただ、どこの職場でもそうだと思うのだが、自分と相性の合わない人はいる。けれども、今だから思う。その人の立場で考えれば、それほど腹をたてるような言動というものはそうそうない。逆に自分の方こそ、意識せずに他人を傷つけていたのかもしれない。職場というものは、日々の人間修養の場である。同僚との付き合いにも気を使わなければならず、ましてや上司、そして社外の人間となるといわずもがなである。
いろいろと偉そうなことを書いたが、最後に自分のことについて。石油ショック後の不況の中でようやく見つけた職場で必死に仕事を続け、幸運にも無事に定年を迎えることができた。だが、さて、自分なりの成長となると、はたしてどこまでそれができたか、はなはだ心もとない。でも、これだけは確実にいえる。もし、仕事を続けていなかったら、おそらくもっと世間知らずの幼稚な人間になってしまっていただろう。仕事を通じて、社会につながり、自分も微小ながらも社会を動かすことに参加している。これは自分にとっての誇りである。
そして最後に職業生活を通じて得た友人という宝がある。人生の大半を過ごした職場で、楽しいときも苦しいときも、ともに過ごしてきた仲間達。こうした仲間とは職場を離れた後でも、末長くつきあっていけることを願っている。