【 入 選 】

【 テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
魔法の手
福岡県  ひまわり 60歳

 子どものころ、となりの家のおじさんはいつも玄関の間にあぐらをかいて木を削っていた。おじさんは仏壇を作る職人だった。三畳ほどの小部屋にはたくさんの木の塊が積まれていて、おじさんが座っている座布団の周りには削りかけの木片が入った箱や、いろいろな形の大小のノミが皮のケースにきちんと納められて置かれていた。

 座布団の前には細長い座卓が縦向きに置かれ、その座卓の上でおじさんはいつも黙々と作業をしていた。近所の子どもたちが玄関先からのぞき込むと、おじさんは黙ったままじろっと大きな目で子どもたちのほうを見る。たいていの子はそれで退散するのだが、私はおじさんのぎょろ目の下の優しさを知っているので、遠慮せずに玄関に入っていく。 

 上がり框に腰かけておじさんの作業をする手つきをじっと見るのが好きだった。おじさんは小さな木片をノミで丁寧に削っていることが多かったが、たまたまカンナをかけている所に出くわすと胸がわくわくした。荒削りの木の表面のでこぼこが、シュッシュッという小気味よい音と共に、だんだんすべすべになっていくのは魔法のようだった。カンナを両手でくるむように持つおじさんの手は大きく分厚く、その手を見ているだけでなぜかホッとするような、頼りになる手でもあった。

 夏は暑く冬は寒い玄関の間でおじさんは、木片を削ったり、彫りあがった部品を組み立てたり、漆を塗ったりといった地道な仕事をこつこつとこなしていた。雨の日も風の日もその日常は変わらず、朝から夕方までおじさんはひたすら木と向き合っていた。

 一度だけ出来上がった仏壇が運ばれていくところを見たことがある。漆のにおいの残る仏壇はとてもきれいだった。運搬の人が運び出す仏壇を玄関先で見送るおじさんは、いつものちょっと怖いような顔ではなく、かといってうれしそうでもない、何とも言えぬ複雑な表情をしていた。驚いた私は、おじさんは泣くのではないかと妙な心配をした。仏壇が角の路地を曲がるとき、おじさんは深々と一礼をした。子どもながらも何か言うのがためらわれて、私はそのまま黙って家に帰った。

 今思えば、あの時のおじさんは、一つの仕事をやり終えた満足感と、何か月もかかって作り上げた自分の作品と別れる寂しさを同時に感じていたのだろう。運ばれていく仏壇に深々と頭を下げるのは、一つの仕事を終えてまた次の仕事に取り掛かるための、おじさんなりの区切りの儀式だったのかもしれない。それは職人としての自分の仕事への誇りや愛着であり、仕事に誠実に向き合うことの厳しさの表れでもあったと思う。

 あれから年月は流れ、おじさんはすでに亡くなり、子どもだった私も還暦を迎えた。私は今、地域の人たちのクラブ活動や生涯学習の企画運営をする地元の地域団体で、パート職員として働いている。仕事は忙しく、ボーナスも退職金もない一年更新の非正規雇用だが、これもお世話になった地域への恩返しと思って仕事に励んでいる。 

 時には利用者から思わぬ苦情を受けたり、文句を言われたりすることもある。上司の理不尽なふるまいや言葉に心が乱れることもある。でもそんなとき私はいつも一息おいて、自分の手を見ることにしている。石川啄木に『はたらけど はたらけど猶 わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る』という歌があったが、私の場合は自分の手を見て、あのおじさんの、大きな分厚い手を思い出すのだ。

 仕事をするうちには、嫌なことや不満なこと、心配なことや腹立つこともいっぱいあるだろう。でもそれにとらわれて、仕事の本質を見失ってはいけない。目の前の仕事をこつこつと、日々誠実に自分の手でやり続けていくことが大切なんだよ…手を見ているうちに、そんなおじさんの声が聞こえてくるような気がして、いつの間にか気持ちが穏やかになってくる。遠い日に見たおじさんの手は私にとって今でも、仕事に取り組む元気を与えてくれる魔法の手でもあるのだ。

戻る