【 入 選 】
仕事を探して、みつけたもの。
54才で、15年かけてやっと放送大学を卒業した。卒業を期に転職を考えた。今の洗濯の仕事も楽しくやっていたが、せっかくの学習が生かせる職につきたい。
まず、ハローワークに相談に行く。今までは検索するだけだったが、転職スぺシャリストの友人に「ハローワークの職員の人にまず相談するといいよ」と教わったから。職員の方は「小池さんの年令では、最後の転職ですね、よく準備してやっていきましょう」と言ってくれた。若松のハローワークでは、A、B、Cの就職への講習があるからと教えられ参加した。Aは再就職の流れ、Bは履歴書の書き方、Cは面接のし方である。毎回半日かけて、職業カウンセラーなどの専門家から講習を受ける事が出来た。今さら聞けない履歴書の書き方の初歩。履歴書の書き方は、本当にためになった。職務経歴書の存在や、書き方、重要性を初めて知った。
今までの自分の人生を棚卸しするというのは、目からうろこの知識だった。自分が欠点と思うことを長所にみるという、やってみると楽しい作業だった。今まで子供の成長に合わせて色々な仕事を転々としたのは、なんだか悪い事の様に感じていた。しかし講師の先生からそれは、様々な職場を経験したという長所なのだと教えられた。それならば、はずかしいと思っていた私の経歴も、なかなか捨てた物ではないかもしれない。そうやって、全ての欠点を長所に見る訓練を受けた。
人生の棚卸しを何回もやり、在庫もなくなった頃、ハローワーク主催の就職フェスタが開かれた。初めての参加だったが、目星の会社の話を開き、時間が余ってふらふらしていた時、同じ職種でただ勤務地が少し遠い所の会社を見つけ話を聞いてみる事にした。
施設長さんの「私の職場には、正社員、パート、アルバイト、の格差はありません」という一言が、私に大きく響いた。
今まで、色んな仕事を一生懸命働いて来たが、発言の機会や、給与の面での大きな格差にやはりどこか傷ついていた。「格差がない」それは、大きな魅力だった。私にとっての働きやすさだった。応募書類を持ち帰り、夫と相談し、通勤時間の長さの心配もクリアし、履歴書を期日までに送付した。
講習Bで習った通りに、心を込めて、時間をかけて、余白のないよう精一ぱい書いた。
なんとか書類審査が通り、次は面接だ。講習Cで3人グループで面接訓練を行なった時、面接官の気持ちが良くわかった。「落とそうとしているのでは無く、一緒に働く人を探しているのだ」という気持ちだ。それならば外見を装うより、ありのままの自分で居る勇気を持つ方がはるかに良いと思った。
面接当日、ノックを3回、緊張はしたがあるがままの自分で居られたと思う。それまでは自分の希望を言った事は無かったが家庭の状況も話し自分の希望も述べ、精一ぱい働きたいという意志も伝えられたと思う。ドキドキの一週間後、採用の電話をもらい大喜び。退職も円満に出来新年度から新しい職場で働くことが出来た。
長い間大学で学んだ心理と教育の知識はまだまだスタート地点を示しただけだ。しかも、その卒業から得たチャンスを形にしたのは、就職活動とハローワークのサポート、そして家族と友人の支えだ。お蔭で念願の共同作業所で働くことが出来た。毎日が勉強だ。
仕事を覚えることも、パソコンの入力も、利用者さんとの触れ合いも、先輩、同期から学ぶことも。毎日が刺激と失敗に満ちている。
そんな時こそ、欠点を全て長所に変える、目からうろこの見方の出番である。欠点も失敗も、全て長所の裏がえし。仕事さがしで見つけたものは、毎日仕事の中で使える、自分と周囲への愛と思いやりだった。