厚生労働大臣賞

【 テーマ:多様な働き方への提言】
おかあさんが決めたこと
東京都 岡 野 園 子 38歳

思っていたより、赤ちゃんが運んできた破壊力は凄まじかった。妊娠中、安静といわれても、仕事に行きたいと強く思っていた私はどこへやら。生まれたての長男に潤んだ瞳で見つめられると、子を預け働き続けるという意志はズタズタに打ち砕かれそうになった。

長男が生まれたのは6年前。保育園の待機児童問題もまっさかりで、私の住んでいる地域も、中心地の保育園の倍率は98倍などという噂が流れた。あまりの数字に夫と吹いてしまったくらいだ。私は諸事情により、復帰時期が決まっていた。長男が0歳の時の復帰。それができないなら辞めるしかない。その2択だった。夫は一大決心をした。「僕が1年間育児休暇を取る」

ところが夫婦で散々話し合って決めたこの選択に、周囲の声が次々に響いた。「こんなにかわいい時期を見られないなんてママなのにかわいそう」「本当に旦那に任せられるの?なんだかんだ言っても最後は母親なのよ」

「ご主人復帰したら、もうまっとうな仕事はさせてもらえないんじゃない?」極めつけは「仕事の代わりはいくらでもいる。でも赤ちゃんのお母さんはあなたしかいないのに…」

声はすべて女性からのものだった。女性は、女性のために、女性の社会進出や男性の育児参画を発信しているものとばかり思っていた。女性の生き方は多様だ。自分と異なる生き方をする女性を受け入れて生きていくという大きな山が、世の女性の前に立ちはだかっているのだと思った。。自分とは違う道を選択した女性に色々口を出したくなる気持ちもわからなくはない。だがこのときは本当に、「実は男性の育児参画を阻んでいるのは女性なのかもしれない」とまで思ってしまった。

周囲の声を聞くうちに、まだ卒乳もしていない、文字通り乳飲み子の長男と離れてまで、仕事をしたいと思う自分がとても勝手で冷酷な人間に思えてきた。仕事を始めて10年。私が一人前になれるよう育ててくれた先輩との約束も、もっと勉強したい分野も、叶えたい夢もしがみつきたいキャリアもまだある。だが、それらを長男と天秤にかけた時、「仕事」を選択するのは、同時に「母親失格」を選択することのように思えたのだ。復帰が迫った3月、涙を流しながら「お母さん、やっぱり仕事辞める。あなたが一番大事だから。」と長男に話しかけた。仕事も大好き。かけがえのない人との出会いが数えきれないほどあった。でも子どもを捨てるわけにはいかない。当然だが長男は何も言わなかった。夫は笑って「いつそう言うかと思ってた」と一冊の本を差し出した。

衝撃的な内容だった。「子どもの母親へのニーズは年齢によって変化する」という内容であった。幼児や小学生は、母親に常に家にいてほしいと望む。だが、子どもが中高生になると、仕事をする母親から学ぶことが多くなる。専業主婦でもワーキングママでも、どこかのタイミングで必ずや子にとって素敵な母親でいられるはずだ、と。

迷いを断ち切り4月に復帰した。勿論育児と仕事の両立にくじけそうになることもあった。長男が6歳になったとき、ふと「お母さんお仕事やめた方がいい?」と聞いてみた。「お仕事やめてお家にずっといて」そう言われるとばかり思っていた。ところが長男はしっかり私を見つめ「それはたっちゃんが決めることじゃない。お母さんが決めることだよ」と言った。ハッとした。復帰前私が仕事を辞めると言ったときには何も返さなかった長男が今、しっかりと自分の足で立ち、考え話している。私は自分が恥ずかしくなった。きっと子どもは私が思うよりも日々たくましく育っている。私も強く自分の道を進まねばならない。そんなことに気付いた瞬間だった。

いつか、私の背中から労働の尊さがにじみ出るといい。その背中を見て育ってほしい。私はまた一つ仕事をする意味が増えた。私は私の人生を自分で決めて進んでいく。

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