【 努力賞 】
【テーマ:私が実現したい仕事の夢】
器を育てる
神戸女学院大学大学院 松川泰子 22歳

あなたはユニークな人と仕事をすることに対してどのような感情を抱くだろうか。中には、面倒、関わりたくないと思う方もおられるだろう。

私は周りから変な人と言われるほど、考えること言うことが周りと違う。その為、幼いころいじめに合い、自分を追い詰め、暗くなった時もあった。当時、私と話が通じる相手は、家族と同じ境遇にあったユニークな友人たちだった。

時は経ち、私やその友人たちは共に成人を迎え、再会することができた。驚くことにお互いに変な人と言われていた友人たちはその道のプロフェッショナル職を目指し、日々努力を重ね、周りの変な人呼ばわりしていた人たち以上に大きく成長していた。そして私も研究者という夢の階段を一歩ずつ登り、来年いよいよ就職活動を控え夢まであと一歩のところまできた。

私の人生において、いつも“変”という言葉が付いてきた。障がいを持っているわけでもない。何度も自分は障がいではないかと思うことがあった。しかし、病院に行ってもどこにも異常は見られなかった。違うことは、ただ一つ。同じ言葉から連想する物やイメージが人とは違うだけなのだ。私は苦しかった。だから自分の殻に閉じこもり、人と接するのも億劫に感じていた。次第に私の顔から笑顔がなくなり、笑顔を作ろうとすると頬が痛むようになった。

そのような苦しい状況下でも、私は“変”を捨てることはできなかった。なぜなら、それは自分自身だからである。それを捨てるということは、私にとって自分で自分を否定することだったのだ。私は悩んだ末、仲の良かった友人たちと別れ、一人違う学校に通うことにした。そして自分探しを始め、出会ったのが理科だった。

理科は私の“変”を“アイディア”という形に変え、自分の主張を伝えるツールになった。日々自分の頭からあふれ出る考えやアイディアを形にできるからこそ、自分の伝えたいことを分かりやすく人に伝えることができ、私の意見や主張に賛同してくれる人も増え、ユニークに生まれてよかったと思えるようにもなった。

自分に自信がついたことで、私は研究者という夢に進むことができた。そして自分と同じようなユニークな人の良いところ、長けているところを見出し、尊重したりほめたりすることができるようにもなった。それによって、その人が変と呼ばれている以上に優れている部分を持っていることも知った。伝え方を変えれば、もっと周りにわかりやすく説明ができるかもしれないということを私は学んだのだ。

しかし、今の社会はどうだろうか。ある一つのことを、型にはまった考え方の下で行うのが通例である。全く同じ方法で同じことを達成しなければ、それはできているとは言わず、揚句自分の理解できないものに対して努力もせず「変だ」の一言でその人をバッサリ切ってしまうことも少なくない。

例えば、話すことが苦手な人は文字や絵画、音楽なら表現できるかもしれない。つまり、伝え方は人それぞれ違っても良いのだ。それが、私にとっては研究であり、友人たちにとってはその道のプロフェッショナル職であったのだと思う。だから、“変”呼ばわりしていた周りより大きく成長できたのだ。そこには、自分に合う伝え方を探した彼ら自身の努力と、さらにそれを受け止めることができる環境があったことが関係していると私は思う。

そのように豊かな表現方法や感性を持った人がもっと表に出て、活躍することで、社会の受け止め方も変わり、ユニークな人自身も努力し成長できると思う。そうすれば、もっと独創的な発想が生まれ、いろいろな分野が発展するだろう。

私は研究者になって“変な人”でありながらもその道において活躍することで、もっと同じ境遇の人たちの可能性を見出すお手伝いをしたい。そしてユニークな人もそうでない人も双方が努力し、尊重し合い働くことができる広い“器”を持った社会を育てたいと強く思う。それが、私の実現したい仕事の夢だ。

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