【 佳 作 】

【テーマ:私が今の仕事を選んだ理由】
米国遊学物語
アメリカ 近江啓太 33歳

偉大な教育者になって世界を変えるなどという崇高な使命感に駆られて現在に至っている訳では無い。振り返れば、幾度の人生の岐路において師と仰ぐ素晴しい指導者との出逢いがあったからだ。彼らへの、日本への恩返しという意味も込めて、今現在の教育と研究が主となる学術の分野の「道」を歩んでいる。

種が蒔かれたのは高校3年の春。「国立競技場は今しか行けない」約50名の部員を前にして語ってくれた部活顧問の恩師に感化され、僕は大学受験の道ではなく、国立競技場への道を選んだ。サッカーに明け暮れ、プロとは何なのか、サッカーの本当の楽しみ方とは何なのか、対戦相手と戦うとはどういう事なのか、叩き込まれた。夢破れ聖地国立競技場には辿り着けなかったが、一生残る履歴書に記入する高校卒業後の一年間の浪人生活は誇りの証。

蒔かれた種が芽吹き出したのが20歳の春。当時付き合っていた英語科の彼女の強い薦めもあり「国際政治文化論」という授業を受講した。そこで出逢った一人の怪物「侍」教授。まさに転機。 広大な知の宇宙に魅せられ、その大冒険の魅力に虜になった。ある日その侍が一言。「アメリカへ行って来い」私は二つ返事で米国留学を決意。そして飛行機のタラップを降りた地はサンフランシスコ。カリフォルニアの抜けるような青空が歓迎して出迎えてくれていた。「今直ぐ役に立つものは、今直ぐ役に立たなくなる」侍教授の講義で心に刻んだ一言で、大学受験という名の下に決めた専攻を変え、幼心から直感的に学びたい、知りたいと思っていた政治科学を専攻に大学院で勝負し始めた。永遠なる時の流れを感じさせてくれるかのような国際関係学に没頭出来る日々。まるで天国に居るような夢心地。相反して地獄の英語の特訓の日々。何度も打ちのめされ、殴られても水をかけられても挫けずに、這いつくばって大学院修士課程をぎりぎりの所で生き残った。この情熱と勢いで駆け抜けて手に入れた修了証書は勇気の証。

無事一区切りをつけられた事を報告に、二人の恩師の元を訪ねた時の事。「あの時と変わらず、お前はまだ戦っているようで俺は嬉しいよ」と監督は声をかけて下さった。そして怪物「教授」は「お前さん、男前になったな」との一言。感謝の気持ちを伝える言葉に詰まり、涙が止まらなかった。

今現在所属するユタ大学の博士課程でも、嘗て経験した事の無い絶望感や虚無感が時に全てを覆い尽くし、峻烈な精神的試練の連続である。それでも理想に胸を焦がし、この土地で人生を謳歌させる事が何より美しく尊いものだと信じて止まずに、自分自身を鼓舞し続けた。渡米して足掛け約十年。教育の「道」を歩み始めて、多かれ少なかれ延べ約七百人の生徒と関わって来た。第一線で活躍されている学者、研究者、教育者を間近に感じ、採点、授業助手、講師の仕事を、優しさと厳しさが共存した恩師達の指導を見よう見まねで実践して来た。その指導教官への恩返し、日本への恩返しのつもりで関わって来た教育現場で、明確になって来た日米の違いに気付く。そんな違いを考慮した、両国を組み合わせた、そんな指導のあり方に、高等教育のあるべき姿を見たような気がした。

憧れる恩師の背中ばかりを追いかけてばかりもいられない。彼らは超えて行かなければ行けない存在。結果のでない日々に、頭垂れる毎日。欲しいものがすぐに手に届いているのは最悪の状態と自分に言い聞かせ、今が一番おごりのある時期なのだと襟を正す。今が時間と集中力を問われている時。流されずに、甘えずに、ひたすら研究と教育に前進あるのみ。教育はスパルタのみが教育と呼べるのであって、楽な道すら王道なんて存在しない。試される時に備えて、研究と教育に精進の日々。これが僕の働く意味、そして生きる意味。

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