【 努力賞 】
【テーマ:仕事・職場・転職から学んだこと】
働くことの意味
東京都 横山正秀 55歳

長らく働いてきました。50歳を過ぎ、両親の介護が必要となり、遠距離介護をすることになりました。職場を2か月留守にし、両親の介護体制を作ることに腐心しました。ケアマネジャー・主治医・訪問看護・訪問介護・バリアフリー住宅改修など様々な人達との折衝・実際の介護・家事など2か月はあっという間に過ぎました。 

職場に戻ると膨大な仕事の山が待っていました。職場の雰囲気も「わざわざ休暇を取って・・・」というあまり歓迎せざるものでした。職場で必要とされるのは穴を空けずに仕事をする戦力なのでしょう。

私は働くことの意味を考えざるを得ませんでした。働くことは生活の糧を得ること。どう考えてもこのことが第一義なのです。そして、「働くことの意味」として今まで考えてきた「自己実現の最たる手段」「社会に寄与する自分であることの証」「豊かな人間関係の構築」などは傍らでひらひらしていることに気付いたのです。

働かなければ生活ができないというのは自明の理です。非正規労働者がどんどん増え、正規労働者の横では派遣労働者が働くのが当たり前の時代になりました。生き方、価値観も多様化しています。仕事に喜びを見いだせなくともSNSで社会と繋がり、ボランティアで自己実現を図る人もいます。仕事から生活が派生するというような「終身雇用モデル」は終わりを告げようとしています。

そこで私は「働くことの意味」を次のように分けて考えることにしました。
第1は「仕事をすること」です。タイムカードで縛られた時間は働きます。このことで自分や家族、両親の介護の費用を捻出します。第2は「育児や介護」のために時間を割くことです。このことは人が生きていく上でどうしても行うことが必要な労働だと考えるからです。第3は「社会の中の一員として自分を駆り立てること」です。これは仕事を通じて社会貢献をするという意味だけでなく、ボランティアや趣味活動などを含みます。

以上のようにカテコライズすることで自分のワークライフバランスが見えてきました。

仕事に向き合う時間、家族と向き合う時間、自分と向き合う時間。それぞれの時間がとても大事に思えるようになってきました。今では休日の過ごし方に困ることはありません。本を読む、音楽を聴く、楽器を弾く、絵を鑑賞する、散歩して草花を楽しむ・・・。一コマ一コマの時間がとても大切に思えます。

フランスの経済学者ピケティ氏は「格差の拡大」を膨大な統計資料から明らかにし、富める者は富み、貧困の連鎖が止まらない経済実態を明らかにした上で、富める者に対する累進課税を提唱されています。働くことの意味を国民の多くが実感するために、傾聴に値する提唱だと思います。無理なく働くことで必要最低限の収入を得ることができる社会は、人を大事にする社会だと思います。医療や介護、住宅や教育など最低限の社会保障を行う仕組みはまだまだ十分ではありません。

介護休暇を取得して、遠く離れて暮らす両親の生活の様子を知り、両親の歩んできた人生に触れました。その中には両親の仕事に対する思いも含まれています。その多くが自分を育てるために注がれていたことに改めて感謝しました。介護することがもっと「働くことの一部」として社会に認知されることを願って止みません。

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