【 努力賞 】
【テーマ:仕事・職場・転職から学んだこと】
働くって何だろう
岡山県 大原桜子 46歳

仕事をしないといけないと考え出したのは、いつ頃からだろうかと改めて考えてみた。
3人姉妹の長女だった私は、「女性も手に職」ということを漠然とは意識していた。高校生になる頃には、(資格のある)学校の先生や看護師さんかどちらかがいいなあと思っていたように思う。そして今、看護職の1つである保健師として働いている。ただ、この仕事にたどり着くまでは、ストレートではなく、転職もしている。迷った末のこの仕事の選択を今はよかったと思えている。一般的には、まだまだ周知されていない事が多い職種で、私も就職するまでは、保健師の仕事がここまで多岐に渡るとは考えていなかった。しかし、その分奥が深いと感じている。
私の最初の就職先は病院の看護師だった。仕事の厳しさはもちろんあったが、多くの患者さんから感謝の言葉を頂き、やりがいは大きかった。しかし、慢性的に入退院を繰り返す患者さんの生活にもっと入り込んだ仕事がしたくなり、保健師を目指し、学校で再度学び今の職場に保健師として就職した。
実際に仕事をしてみるとその人の生活に触れ、その人の家族だけでなく周囲の人の影響、土地の風習、地域全体の環境や生活に視点を広げて考えることが出来る仕事の奥深さに引き込まれていった。また、仕事をしている「私」という1人の人間の生き方や価値観が大きく問われる。接する世代、健康レベルも様々であるため、自分が思ってもみなかった反応をもらうことも多い。人の数だけ価値観の違いがあることも、仕事を通じて学ばせて頂いた。学ぶこと、考えることが多い仕事だと日々感じており、それはずっとこの先も続いていくだろう。この仕事の特徴は、その人の生活を「健康」という切り口から見つめ、それを取り巻く環境、生活を把握し、住みよい地域を一緒に考えていくこと。その地域、地域を構成する人の持っている力を引き出すお手伝いをさせていくこと、なのではないかと感じている。
「生きる」・「活きる」ことに直結する仕事だからこそ、辛いことが多くてもやりがいと誇りを感じる事が出来ていると感じる。

今、時代は私たちが想像もつかないスピードで変化をしている。「人」でなければ出来ないと言われていたこともロボットが出来るようになった。ネットワークシステムが発展し便利になりコミュニケーションの取り方も変わった。どこでもどんな時間帯でも連絡は容易になり、日々その恩恵も受けている。しかし、一方で「人」同士の関わりが減り、そのことによる弊害も地域社会の中では様々に起きている。
「町内会に入らない人が増えている」
「子ども会がなくなった」更には「孤独死」「引きこもり」「ゴミ屋敷」etc…。
古き良き昔に戻ることは出来ないが、人との関係性をどう構築していくべきなのか。ご近所付き合いはどうあるべきなのか。心ある地域の方々の多くは、憂いている。問題提起もされ、実際に活動をして下さる方もいる。担当をさせていただいている地域では、地域の声かけ運動が盛んで、「見守り隊」と称する有志の方が子ども達の登下校を支援して下さっている。最初は見守り隊の方が声かけをしても恥ずかしがって声を出さなかった子どもが、挨拶をするようになったり、スーパーなどで出会った時に子どもから声かけをされ嬉しかったなどの声を聞く機会もある。地域の人同士のつながりが、ボランティア活動のモチベーションアップにつながっているのだと思う。子どもにとっても祖父母世代の方との触れあいは、得るものが多い。こうした地域での触れあいの活動が広がり、形として地域での場作りにつながった時など、どうしようもなく自分が嬉しくなってしまう。その瞬間が、私に仕事の醍醐味を与えてくれ、頑張ってこの先も仕事を続けたいと思わせてくれる。

私という人間は、本当に小心で、些細なことによく傷つき落ち込むことも多い。しかし、こうした人々との関係性に自分自身がやる気をもらえ、生き方を考えることが出来ることは本当にありがたいことだ。仕事をする上で、5年後、10年後担当している地域がどんな地域になり、生活していくのだろうと考える。それは、自分自身が住んでいる地域にももちろん言えることである。高齢社会の中、自分自身の老後についても考える。今自分に出来ることは何なのか?時間に追われる日々ではあるが、立ち止まり自分の足元をしっかりと見つめていく大切さを仕事を通じて痛感させられる。

生涯勉強、親が口癖のように言っていた言葉。本当にそうだと思う。しかし、仕事をしていなければ、ここまで意識はしていなかったかもしれない。
働くこと、働けることは本当に素晴らしい。多くの事を学ばせていただける仕事があることに感謝し、日々を大切に過ごしていきたいと強く思う。

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