【 努力賞 】
【テーマ:女性として頑張りたい仕事・働き方】
遠回り
北海道 古川裕子 42歳

「どうしてお母さんの方がお給料少ないの?」
給料日の夜のことです。食卓テーブルに置かれたままになっていた2枚の給料明細を見比べていた娘が、不思議そうに尋ねました。
「お母さん、遠回りしちゃったからねえ」
私は、茶碗を洗う手を止め、娘の横に座りました。

私たち夫婦は、小学校の教員をしています。同い年で最終学歴も同じ、そして同期採用。私もずっと仕事を続けていれば、夫と同額の給料明細をもらってくるはずでした。

結婚当時、同じ勤務地で働けるよう異動希望を出したのですが、なかなかうまくいかず、私が退職するという形で結婚生活をスタートさせました。その後は、出産や夫の転勤もあり、私はしばらく専業主婦でした。

夫の転勤先は、僻地が多く、先生の奥さんとしての地域との付き合いもあり、専業主婦だった私は、比較的早く地域に溶け込むことができました。それなりに楽しく忙しい日々でしたが、罪悪感というか、後ろめたい気持ちがふと湧いてくる時がありました。

私の世代は、男女は平等に働くべきと教えられた世代です。せっかく男女関係なく働ける職を選んだのに、いとも簡単に退職してしまい、大学まで出してくれた両親に申しわけない気持ちが常にありました。夫が同じ職業を続けているので、まだ現場で働いている友人達の活躍ぶりを思いかけず耳にすることもありました。そんな時、言いようのない重苦しい気持ちが、私にのしかかってくるのでした。

転機が訪れたのは、ちょうど2人目を出産し、娘が保育園に通い始めたころです。30歳を過ぎ、重要な仕事を任されるようになった夫は、毎日遅くまで働き、私は、家事と育児に追われ、気がつけば1日が終わっている…そんな毎日を送っている頃でした。納得して仕事を辞めたはずでしたが、どんどん教員としてのキャリアを積んでいく夫に、なにか嫉妬のようなものを感じずにはいられませんでした。

そんな時、保育士の資格講座のチラシを目にしました。
「子育て中のママにおススメ!子育ての経験がいきる仕事です!」
その日の夜は、眠れませんでした。教員としてのキャリアにばかりしがみついていた私は、働くということの意味を見失っていました。(進むべき道は、一つじゃない。出来ないことを数えるよりも、出来ることを見つけたほうがいいのでは…)朝が来るころには、もう迷いはありませんでした。
「私、保育士の資格取る!」
その日のうちに、参考書を注文し情報を探し始めました。10年近くもくすぶっていた気持ちに火がついたら、あとは突き進むだけでした。子育ての合間の勉強は、体力的にきつかったのですが、2年かかって保育士の資格を取ることができました。娘が小学校に入学した年には、保育園で働きだし、社会人として再スタートをきることができました。

そして、昨年から、臨時職員としてですが小学校の教員に戻ることができました。

15年という寄り道の間に、現場はどんどん変わり、ついていくのが精いっぱいです。けれども、一度現場を離れ、違う仕事も経験したからこそ分かることも少なくありません。そして、一度、道をあきらめてしまった経験があるからこそ、目の前の子どもたちに言える言葉があります。

あの時、どんどん先に進んでいく夫を恨めしく思っていましたが、今では夫が、家事や子育てはもちろん、仕事上でもよき先輩としてアドバイスをもらうことができます。 もし仕事を辞めていなければ、給料明細に差はありませんでしたが、私には15年分の寄り道は必要だったのだと思っています。

2枚の給料明細を見比べていた娘には、収入で差が出てしまった私のような働き方は、遠回りで失敗にうつるかもしれません。けれども、長い人生、その時に応じた働き方や働く意味があることを知っていてほしいと思います。

あと数年で、娘も働く女性になります。先輩としてかっこいいところを見せたい私は、遠回りした道をしっかりと歩いて行こうと思います。

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