【 佳 作 】

【テーマ:「世界と日本」海外の仕事から学んだ事/日本の仕事から学んだこと】
配置転換
愛媛県 藤田哲夫 71歳

バブル景気が弾けて、金融機関、証券会社等の倒産記事が新聞紙上をにぎわしていた。私が勤めていた会社は構造不況で、人員整理を実施した。同じ職場の中高年は、割増退職金をもらって辞めていった。

42歳の私は、肩たたきで退職を勧められたが、大学生と高校生を抱えていたので拒否した。退職は免れたが、事務職から倉庫係に配置転換された。請負業者を数名与えられ、班長を命じられた。倉庫の業務は、重量物の荷降ろし、発送、構内運搬が主務であった。

運搬作業は、天井クレーンとフォークリフトが不可欠で、危険な作業が多い。欠勤者が出ると班長が代行するのだが、私は重機類の運転免許も、車の免許も持ってなかった。
「重機を扱えなければ作業に支障をきたすから、フォークリフトとクレーンの免許を取れ」と、期限を切られた。フォークリフトの試験は一週間後に迫っていた。急遽、労働基準協会で教本を買って猛勉強した。学科は合格したが、翌日の実技試験は不合格だった。実技の経験がなかったので機械の構造、操作は教本で勉強して実技試験に臨んだ。事前に運転技術を修得してから受験することを知らなかった。

不合格を上司に報告した。「他市で、来月実技試験がある。交通費、受験料は自己負担だ」最後のチャンスを与えられ、背水の陣で再受験することにした。が運転を教えてくれる者がいなかった。『解雇?』が脳裏をかすめた。

自棄になり、諦めかけていた。社員食堂の片隅で食事中、「俺で良ければ教えようか?」隣の席に座ったM君(請負業者)が指導を申し出てくれた。

「就業中は教える暇がないし、空いている機械もない。時間外と休日ならいい。俺の教え方は厳しいが、弱音を吐いて途中で投げ出さないなら」と彼は条件をつけた。
「ありがたいが、残業と休日手当は出せない」と言うと「そんな、しみったれたこと思ってない。どうしても班長に資格を取ってもらいたいだけだ!フォークリフトに合格したら、天井クレーンも教えるよ」私は藁をも掴む思いで彼に指導を頼んだ。

「クラッチが滑っとる。プレーキのタイミングが遅い!アクセルは弱く。急発進、急停止は荷崩れする!」M君が納得ゆくまで、何度も同じ操作を命じられた。

休日に出勤すると、M君は30分早く出社して、模擬試験コースの白線を引いて待っていてくれた。

「休日だから今日の練習はこれくらにしないか?」と促した。「バックとカーブの走行がスムーズにゆくまで」と承知しなかった。

カーブの所で、徐行運転を怠った。血相を変えて駆けて来た彼は「運転中止!」と怒鳴った。

「安全は、作業効率より優先する。あんたは、9名の部下の命を預かっている。『油断一瞬、事故一生』朝礼で、部下に訓示していたことだ。安全運転を軽くみたら駄目!」と叱られた。カーブを曲った出会い頭で、フォークの爪が横腹を刺して死亡した事故例を挙げ、安全運転の重要さを語った。私は己の非を素直に認め、彼の忠告に改めて感謝した。

実技試験の日は休日だった。M君に教わったとおりの運転が出来て合格した。会場にM君の姿があった。「班長おめでとう!」彼は、満面の笑みで駆け寄って来た。「家族で海水浴に行く予定じゃなかったのか?」と聞くと「来週に延ばした。海は逃げやせんよ」と白い歯を見せて笑った。「今晩、例の店で待ってるよ」と居酒屋に誘った。

「2か月後はクレーンの試験がある。練習日程の話もあるから5時頃、店で会おうよ」と約束してくれた。彼は数年後、他社に移った。がその間、私の良き部下であり、信頼のおけるパートナーであった。

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