【 佳 作 】

【テーマ:仕事・職場・転職から学んだこと】
障がい者として働いて
岩手県 駒場恒雄 69歳

持病の悪化のため定年まで8年を残し、17年前中途退職した。退職し在宅生活を一人で続ける難しさを心配した妻も退職した。

身体障害が伴う持病は徐々に手足の筋力が衰える病である。車いすで働けるよう職場環境の改善が図られたのだが、事務職であったが握力など手の運動機能が衰えしまい働くのが困難となった。

退職前の10年間は、職場上司や同僚の温かい支えで働き続けられた。その体験は働く喜びと達成感そのものでもあった。

その頃、同じ障がいを抱えていた仲間達は、自分も社会に役立ちたい、自立を目指し自分の働いた収入でより良い生活を確保したいと焦っていた。社会の一員として働くという生きがいを見つけ、楽しい人生を送ろうと努力している仲間もいた。だが、現実は、希望や夢には遠い職場環境と、障がい者への理解に乏しい環境だった。

退職後は患者会の相談員として、障がい者の頑張りや努力も必要と相談などで答えることもあったが結果は芳しくなかった。

自分の障がいを周囲の人に理解してもらうことが重要であった。体調の変化が伴うものにあっては、作業での対応やスケジュールなどに影響も大きく、継続就労は難しいものだった。

難治性疾患を抱え重症化の予防のため定期的に通院していたが、病気休暇が時々あり一緒に働く人の負担や迷惑になると言われ離職していた。共に働く仲間からの偏見と差別に苦しんだ結果である。病気の理解や不自由な体を曝け出す勇気は、プライバシーや偏見を恐れ難しい問題だった。

わずかなサポートや、作業内容と職種によっては健常者と格差のない労働力を持っている人もいる。しかし、職場に自力で通勤できることが採用条件、全てが満たされなければ雇用されない。

厚生労働省は、障がいのある人が障がいのない人と同様、その能力と適性に応じた雇用の場に就き、地域で自立した生活を送ることができるような社会の実現を目指しているが、障がい者の雇用人数を増やすことは当然であるとしても、障がいや難病などの持病を隠して働く人たちへの思いやりと理解こそが重要だ。

私は健常者と区別することなく仕事を与えられ,温かい理解に支えられ働いた。不自由な体を個性と受容しても、健常な体の時はこの程度の事は簡単にできるのにと焦る事も有った。

この仕事は自分には困難と明らかなものは、無理せず相手に代わってもらうことも出来た。相手の仕事や作業で自分に出来るものは積極的に申し出て引受けた。体力的なものや作業効率に応じた分担や再配分をごく自然にできた。その成果と達成感は相手にも喜びと、互いに思いやる心や感謝の気持ちが育まれていた。

地方には中小の零細企業も多く、限られた労働者で仕事をする現状は障がい者の理解を得ることは難しい。少子高齢化の社会に、誰もが安心して暮らせる共生社会づくりのため、障がい者の労働や雇用にこそ関心と理解を深めてほしいものである。

障がい者や難病患者は特別な人ではない。誰もが事故や病気でそうなる可能性がある。体が不自由になっても社会参加、就労、文化芸術活動などあらゆる分野で活動し自立できる環境づくりが必要だ。障がい者の一人として、障がいを抱えて働く難しさは体験もし、仲間の声も聞いてきた。

雇用する企業も、働き続けられる職場環境の整備、障がい者や難病を抱えて働く人たちに対する理解を深めてほしいと願っている。

戻る