【 佳 作 】

【テーマ:私が今の仕事を選んだ理由】
働く姿を見せたくて
東京都 塩沢由美子 38歳

食卓を布巾で拭き上げる。仕事の道具を並べる。赤ペン・修正ペン・国語辞書、これで全部だ。準備が整ったところで、わたしは答案の束を広げる。模試の添削を始めてから5年が経った。ペンの替え芯を用意し忘れることもなくなってきたし、とんちんかんな回答を楽しむ余裕も出てきた。

1人目の妊娠が分かった時は、会社勤めをしていた。少しずつ変化する自分のからだにとまどいつつ、産休をとるか退職するか、わたしは毎日考えあぐねた。一番の悩みの種は、伴侶とわたしの休日が異なる点だった。ふたりが今まで通りに仕事を続ければ、家族全員が揃う日は1年を通して数えるほどしかない。それはいくら考え直しても、わたしにとって受け入れがたかった。妊娠6ヶ月に入ったある日、わたしは上司から退職手続きの方法を教わった。もっとほかのことを彼からたくさん習いたかった、と心の中でつぶやいた。

産後は、まるで赤ちゃんの世話以外何も認められていないかのような生活が続いた。もちろん、その中に喜びや幸せがなかったわけではない。しかし評価を得たり確かな手応えを感じたりすることが難しい育児は、徐々にわたしから生気をうばっていった。心の中には自信という小さな明るい炎もあったが、赤ちゃんの泣き声はそれを吹き消しそうなほどとことん力強かった。

一方、育児や家事の経験を積み、それらと比較しながら仕事を見つめ直してみると、働く意義がだんだんくっきり見えてきた。働くとは、きのうまでの成長をより広い世界で試し、対価を得てきょうを生き抜き、そして明日の可能性を探ることだ。それは育児・家事とはまた別の色合いの大切な営みだと言える。

夜は息子の傍らで添い寝し、大きな舞台でのびやかに働いていた日々を思い出した。仕事はわたしを生き返らせるだろうという期待が頭を横切るも、二度と戻れそうにない現場の数々が浮かんでは消えていく。かすかな寝息だけが聞こえる静かな部屋の外には、すっかり縁のなくなった夜の町が広がっていた。

息子が幼稚園にあがった頃だった。下の子のヨチヨチ歩きを眺めながら、ふとわたしは考えた。「二度と戻れそうにない? そもそも戻る必要があるのだろうか?」。社会との接点は高層ビルの中だけにあるわけではないし、昼夜を問わず駆けずり回るばかりが働くということではない。そうだ、戻ろうとなんてしなくていいのだ。今のわたしに合ったスタイルを選び取り、新しい一歩を踏み出せばいいのだ!

わたしは、業務委託を受けて在宅で仕事を始めた。在宅ワークのメリットはこどもを見ながら仕事ができることであり、デメリットはこどもを見ながら仕事もしなければいけない点である。メリットがデメリットであり、デメリットがメリットなのだ。いずれにせよ今もこうして在宅ワークを続けているのは、「働く」とはどういうことかを、こどもたちに身をもって示したいという思いがずっとあるからだ。

こどもたちはわたしのどんな姿を見ているのだろうと思って、先日ふと試みに仕事中カメラを回してみた。再生されたわたしの顔は、思った以上にこわかった。答案をにらみつけ、辞書に鼻をうずめ、時折赤ペンで頭を掻いていた。雑誌に出てきそうな美しい母親像からは、大いにかけ離れている。同時に、カメラに切り取られた小さな画面からは働く意欲や気迫が伝わってきた。黒縁メガネをかけた40がらみのおばさんは、実に生き生きとしていた。

今年小学校にあがった娘の夢は、ケーキ屋を開くことだ。店内には喫茶室もあるそうで、「おかあさん、そこではたらいて」と彼女は言う。

その時がきたら、今度はわたしが娘の働く姿を見守る番だ。愛嬌のある彼女のことだから、踊るように軽やかに粉をふるっているかもしれない。あるいはわたし譲りのおっかない顔で、黙々とバターを練っているかもしれない。わたしが願うのはただひとつ、働く彼女が自分らしく輝いていることだけだ。

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