【 奨励賞 】
【テーマ:私がやってみたい仕事・働き方】
立ちどまらず歩き続ける
あかし若者サポートステーション Y.M 19歳

人と関わることが苦手だ。コミュニケーションが得意だなんて口が裂けてもいえない。人と相対すると気まずく、いたたまれなくなる。それは直したいと思って直せるものではなかった。

父はしつけの厳しい人だった。なぐられたり、蹴られることがこわくていつも少し斜め下の床を見ていた記憶がある。タクシーの運転手をしていて、人当たりがいいので友人も多かった。タクシーの運転手になる前、父は競走馬を運ぶ馬運車の運転手をしていた。けれど大きなミスをしてその仕事を続けられなくなって、転職後は賭けごとにはまるようになり、しだいに家庭の色々なことが上手くいかなくなった。

久しぶりに父と会うことになったのは、冬の寒い時期だった。何年かぶりに会った父親は枯れ木のように見えた。記憶にあるよりずっと年老いて、ぱきりと折れそうな背中をしていた。わたしはなんともいえない心境で挨拶した。父は話上手な、どこにでもいるような普通の老人になっていた。その時初めて、置いてきぼりにされたような心細さを感じた。

サポートステーションのセミナーで様々な人の意見を聴く機会に恵まれて、考えることが増えた。自分なりの解釈を得ることもあった。わたしは働くことで自分の中の余分な何かがすり切れていくのではないかと考えた。バイト先での人間関係に思い悩んでいた時、耐える以外の方法が思いつかなかった。それは正解ではなくても間違っていなかったはずだ。

仕事をすることは自分の身を立てるということだ。そうして学習したり、堪えたり、感謝・感動したりしながら年をとっていく。その経過で必要のないものはそぎ落とされていくだろう。

今わたしは失敗への恐れと、安定性を求める気持ち、それから少しの冒険心を持っている。遠くないうちにどれか一つを残してあとは全部捨ててしまうだろう。あれもこれもと持っていくことはできない。社会に出て働くことは現実だ。綺麗ごとがいえない、憂鬱になるくらい厳しい現実が待ち構えている。

どんな時も働き続けて、歩くのをやめなかったら最後には何が残るのだろうか。わたしがいつか老いて、体もすっかり弱ってしまった日。人嫌いでも頭でっかちでもなく、どこにでもいるような普通の老人になれてさえいたらいいのだ。どんな仕事だろうと、どんな雇用形態だろうと、どんな経歴を辿ったって少なくともそれなら自分には納得できるから。

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