私がまだ3歳の頃、祖父母は、たびたびデパートの屋上に連れて行ってくれた。名古屋栄の三越デパートの屋上だった。屋上には、観覧車や100円で動く乗り物がたくさん並んでいた。夢中になって遊んだ。
100円玉を入れる瞬間に、胸が高なった。中には景品が出てくるゲームマシンもあった。
ロボットの形をしたマシンだった。当たりが出て、カプセルが出てきた時の嬉しかったこと・・、30年経った今もはっきりと覚えている。私の中で、『楽しい』という概念が、子どもながらに形成された瞬間だった。
デパート屋上のゲームマシンに夢中になった私が、ちょうど小学生に入る頃、世間では、空前のファミコンブームが起きていた。近所の子どもたちと一緒に、私も家庭用のテレビゲームに夢中になった。当時、テレビゲームは、日進月歩で進化している状況で、小学生の私は毎月登場する新作ゲームが楽しみで仕方なかった。小学2年生ながらに、うっすらとではあるが、将来、こんなにワクワクするゲームの世界に携われたらいいなあと感じていた。 しかしながら、成長するにつれ、あれほど熱中したテレビゲームも、以前ほどのめり込まなくなり、私の興味はスポーツや音楽に移って行った。
そんな私が、大学生になり、将来、どんな仕事に就きたいのかを真剣に考えた。なかなかこれぞ!という仕事はイメージできなかった。そんな中、いろんな世界が見たくて、アルバイトして貯めたお金で、ニューヨークとロンドンを旅した。ロンドンに行った時のこと。
ロンドンの中心、ピカデリーサーカスで、私は再び、ゲームマシンと再会する。そこは、トロカデロセンターと呼ばれる巨大なアミューズメントパークだった。SF映画のような近未来的な入口を抜けて、店内に入ると店内は、 外見も話す言葉も異なるイギリス人で一杯だった。映画の中にいるようだった。そして、皆が、満面の笑顔でゲームマシンを楽しんでいた。一体どんなゲーム機が置いてあるんだろう?と思って、店内を見て回った。
私は衝撃を受けた。なんと、パークの中に設置してある、大型ゲーム機のほとんどが、『SEGA』『NAMCO』といった日本のメーカーの製品だったのだ。大きなレーシングカーのマシンのパネルには、見覚えのあるロゴが光っていた。日本人が作ったゲームマシンが、海を超えて、ヨーロッパの人たちを楽しませている!日本人として何か嬉しかった。
言葉を超えて、文化を超えて人を楽しませることができるなんてすごいじゃないか。自分も日本に帰ったら、皆が笑顔で楽しめるこんな空間を創りたい!そう思って帰国した。
帰国後、早速アミューズメントパークに関わっている会社を探した。大学を卒業した私は、幸運にも、そのロンドンで見た、ゲームマシンの製造メーカーに就職することができた。そして今は、新宿のアミューズメント施設で企画運営に携わっている。
私の中に、どうせ働くからには、人を楽しませる仕事、人を幸せにする仕事に就きたいという願望があったのだと思う。そして、原点には、祖父母が連れて行ってくれた、デパート屋上での忘れられない思い出があった。今は、祖母が他界してしまったが、祖父母は私が今の仕事を決めた時、一緒に喜んでくれたものだ。
私も嬉しかった。
アミューズメント産業、エンタテインメントの産業は、移り変わりの激しい世界だが、私はその中で、世の中の人達が、心に潤いや楽しみをもてるような生活を創りたい。ロンドンで見た15年前の光景を今再び思い出しながら。