娘が1歳半になろうという頃、夫が帰ってこなくなった。
しばらくたって、女性と一緒に住んでいることが判明した。
夫は38歳、相手の女性は51歳の自営業の女性。
「離婚したい。彼女は君の真逆だ。自立している、ぼくを縛らない。君は彼女にはなれない。能力が違う」そう言い残し彼女のもとへ消える夫。
22歳から交際して結婚して12年、気づけばわたしの世界の中心は夫になっていた。
その夫から突然突きつけられた離婚、私は状況を理解できず悲しみで途方に暮れ精神は崩壊寸前だった。
それでも習慣というのは変えられないもので、家事育児には決して手を抜かなかった。
娘のごはんは三食きちんと作った。
朝晩の犬の散歩も怠らなかった。
家の掃除も欠かさなかった。
庭の植物の管理もした。
食卓には何かしらの花を活けた。
主婦業は自己裁量な部分がほとんどだ。働きぶりを常に誰かに見られている訳でもない。
専業主婦というのは、一日のほとんどを自己管理し過ごさなくてはいけない。
仕事は探そうと思えば際限なくある。
一方で、便利になった今の時代、手を抜けること代用がきくことも多いのが現実。
その存在意義はとても儚く脆いものだ。
夫が不倫逃亡中、生活費の振込み額は減額された。
人に経済的に依存するということの恐ろしさを実感した。
極限の精神状態を少し抜け、この虚しさや悔しい気持ちを、夫や相手の女性への恨みや憎しみのエネルギーに費やすのではなく、家庭以外に自分が輝ける仕事を見つけ、母親として娘に恥じない生き方をすることで見返したいと思った。
でも、いざ仕事を探したくても娘の預け先がなかった。
世間の働く母親たちを悩ましている"待機児童問題"というものに直面した。
正社員で産休を取っているが預け先がなく復帰できないという状態が問題視されているが、私はそれ以上の大ピンチ下におかれていた。
夫=会社社長 専業主婦=仕事と置き換え考えてみると、
パフォーマンスの評価者は会社経営をしている夫のみなのである。
査定基準も比較対象もない上に、"愛情"という実態の見えにくい評価基準に左右されるのである。
専業主婦が仕事として成立するには、夫の稼ぎだけで生活できることは大前提だが、そのほかに夫婦仲が円満、夫に愛されていることが必須である。
そう考えると、専業主婦は安定どころかものものすごく不安定な職業である。
今、未来を担う若い女性の間で専業主婦願望が急速に高まっているという調査結果を聞き危機感を持った。
彼女たちに聞きたい。
なぜ専業主婦になりたいのですか?
働かなくてよくてラクそうだから?
家事がものすごく得意でそのスキルを活かしたいから?
いくら稼ぎがよく大好きな男性と結婚したからって一生安定して暮らせる保障はない。
それは異性問題に限らず、仕事を失ってしまうかもしれない、病気で働けなくなってしまうかもしれない。
そんな時に家族を守るためにも、女性が仕事を持っているということは素晴らしいことではないでしょうか。
もし、家事が得意で専業主婦になりたいのだったら、その能力を家庭内だけでなく社会に役立ててみることを考えてみませんか?
何か困難にぶつかった時、それはきっと自分自身を助けてくれるものになるはずだから。
家族のために誇りをもって立派に専業主婦をしている人も沢山いるし、介護など環境による様々な事情で専業主婦にならざるをえない人もいる。
女性は働くべき、専業主婦はいらないというわけでは決してない。
年齢を重ね結婚や出産を人生の視野に入れると、働き方や生き方をその時の感情だけでは決めることが難しい女性が、家庭を持っても持たなくても、子供がいてもいなくても、状況に応じてバランスよく中庸な働き方、生き方を選択できるような社会的仕組みが確立されれば、日本の女性はもっと輝けると思う。
そしてそれは日本経済にとっても素晴らしいことに違いない。