【 努力賞 】
【テーマ:私の仕事・働き方を決めたきっかけ】
思いが使命に変わった日
愛媛県 阿部喬子 32歳

私が白衣を着るきっかけをくれたのは、間違いなく母だ。幼い頃に見た、病院で働く母はスーパーマンより頼もしく見えた。

「あんたは考える人やね」
看護学校時代に、受け持ち患者からもらった言葉だ。50代の末期癌の男性。告知はされていなかったが、ふいに見せる表情や言葉から、自分の状況をきっと十分過ぎるほど理解していることを、初学者の私にも感じられた。常に襲う倦怠感、持続する発熱、元々の口数の少なさもあり、あまりコミュニケーションも取れないまま日にちだけが過ぎていった。学生の私に何ができるのかをただ考えるだけの日が過ぎっていった。

実習も二週目に入った頃、患者の部屋に訪室すると、

「これ、冷たいのに換えて」
患者は右手だけを動かし、敷いていたアイスノンを差し出した。急いでナースステーションに戻り、冷蔵庫の中からなるべく冷えたものを探し出す。

「これじゃあ固くて頭が余計に痛くなる。おでこの上に置けるようなものはないの?」
病室に戻った私に、眉間にしわを寄せてこう話した。病棟の氷嚢のセットは修理に出されており使用できなかった。「ないなら作ればいい」何か自分にできることはないか、悶々と考えていた私の頭の中がパッと明るくなるような感覚だった。氷や水が多すぎて重みや痛みを感じないように調整する。使っていない点滴スタンドに手作りの氷嚢を慎重に吊るして出来上りを確認した。喜んでくれるだろうか、考えながら病室に急ぐ。患者は笑顔であの言葉をくれた。これでゆっくり休めるよ、そう言って少し微笑んだまま静かに目を閉じた。数日後、実習終了間近となった日の未明、患者は息を引き取った。何も知らない私はいつもと同じように病棟へ行き、「退院患者」の氏名が記載されているホワイトボードを見て、患者の最期を知り呆然とした。

あれから10年以上経ち、私は看護教員になった。あの患者がくれた言葉は今でも私を支え続け、あるべき自分を照らしてくれる。自分が関わる対象に関心を寄せ、精一杯考え抜く姿勢は、私の職業観につながった。

ある日、実習の引率中の病院で担当していた学生が、受け持ち患者のリハビリ計画を立てた。初めて実施させてもらった日、あの日に聞いたのと同じ言葉が、日のよく入る病室に小さく響いた。満足そうに笑う学生と、いつかの自分が重なった。

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