【 努力賞 】
【テーマ:私の仕事・働き方を決めたきっかけ】
最善を尽くすということ
青森県 花南村頼子 31歳

「仕事というのは嫌なことに耐えるからお給金が貰える。我慢しないでお金を稼ごうなんて甘ったれた考えだ」

学生の身から実際に社会に出て働くようになった時、大抵の人が一度は耳にする言葉だと思う。自分の望みどおりにならないところをぐっとこらえて、めげずに一生懸命に働く姿勢を見せることで、同僚や上司、あるいはクライアントから認めてもらうことができる。それを継続していくことが、すなわち社会人としての自信にもつながっていくのだ。そんな風に考えて自らの心を叱咤せねばならない場面は、数限りなく存在するだろう。その考え自体はもちろん正しい。しかし時に、「どんな理不尽にもひたすら耐えてさえいれば正解で、その要求についていけない自分は怠け者なのだ」という、盲目的な思考にも陥りやすい。

私もまた、自身の過去を振り返ってみると、そのような強迫観念に駆られて就職活動を行っていた時期があった。「ただでさえ不況の時代だ、仕事できるだけでもありがたい。選んでいられる状況ではないのだから何が何でも頑張ろう」そんな一見、前向きなような言葉で自分の心に蓋をして、自分に向いていること、本当にしたいこと、そういう最善を見極める作業を怠ったまま、闇雲に求人を当たって福利厚生の充実ぶりだけで企業を選んだ。そして、「自分がしたいことをしたい、自分らしさを活かした仕事がしたい」といった誰かの主張を見るたびに、それが叶うのはよほどのエリートだけで、現実はやりたいことをやれるようにはできていないのだ。などと、いかにも世間の仕組みを知った気分で堅実な選択をしたつもりになっていた。

しかし、その後に入社した企業で私は早々に躓いた。最初は空元気で乗り越えられたが、激務に加えて納得できない事に従わされるようになり、心身ともに激しく削られていった。次第に意欲を持てなくなったが、「嫌なことに耐えている自分は立派な社会人なのだ」というアイデンティティーだけで自分を支えようとした。しかし、元々ろくな自主性もないまま入社した私だ。間もなく限界を迎え、職を辞することになった。しばらく心療内科に通う日々が続いた。その間ずっと、なぜ仕事から逃げずにもっと頑張れなかったのか。積み上げた日々を台無しにしてしまったと、ひたすら自分を責めた。だが数日後、偶然知人に会い、「あなたが職場の人に指示を受けている所を見かけたことがある。まるで人間扱いされていない感じだった。あなたがあんな所を辞められたと聞いて心底ほっとした」と、思いもかけぬ事を言われた。その瞬間、身近な人をひどく心配させていた事に気づいて、どっと涙が噴き出した。そして、生きていく上でいくら辛抱が大事でも、人間は我慢のための我慢をし続けることはできないのだというごく当たり前の事も、この時理解したのだ。

最近のニュースを見ていると、意欲を持って入社した新人が、過酷な労働条件を強いられて悩み疲弊した末に自殺した。うつ病になった。そんな内容の報道がしばしば出てくる。彼らの遺した言葉などにも、「会社側の要求に社員としてついていけない自分は駄目な存在なのだ」という、強い自己否定の念が感じられて、他人事とは思えず胸が苦しくなる。

私は現在、自分の特技を活かした仕事を、何とか軌道に乗せている最中だ。日々は決して楽ではないが、以前のように闇雲に自分を見失う苦痛はすでにない。無理に安定を求めるよりも、自分の人生やりたいことをやってみようと開き直ったとたん、がぜん闘志がわいてきた。その糧になったのだと思えば、過去に味わったあの辛い体験も決して無駄ではなかったといえる。

自分らしくよりよく働ける方法が、きっとすべての人にある。自暴自棄になることなく、できない事はできないとまずは認め、自分にとっての最善とは何かを見つめ直すことで、光明はぐっと開けるはず。そう信じている私である。

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