【 努力賞 】
【テーマ:女性が輝ける働き方】
男女の別なく輝ける社会へ
福岡県 KR 28歳

女医、女教師、女性運転手、女社長――。この"女"、必要でしょうか。

私の場合、輝いている女性の具体例を身近に探すことは難しいことではありません。

以前の職場の支店長は女性でしたし、現在の直属の上司も女性です。地元には頻繁にメディア露出する女性杜氏(酒蔵の最高責任者)もいます。彼女らの働き方は周囲と比較しても華々しく、間違いなく輝いている働き方をしていると断言できます。家事も立派な労働であるという僕の持論からすれば、帰りが遅くなりがちな僕を支え、家事、育児、そして韓流ドラマに忙しい妻も輝いている働き方をしていると思います。

しかし、私は思うのです。輝いている彼女たちは、「女性だから」輝いているのだろうか、と。

支店長は入社当時から快活な酒豪で、同期のほとんどが大卒出身のエリートという中、高卒という学歴のハンデをものともせず、ずば抜けた営業成績を残し続けたという、ほとんど伝説的な人でした。現在の直属の上司はとにかく頭の回転が速く、残業が蔓延していた職場の改革に成功し、よその職場から相談を受けることも多いリーダー的な存在です。杜氏は伝統の味を受け継ぎながらも、果実酒や発泡酒についても研究を重ね、既存の概念を打ち破る日本酒を発表し続けています。

そういった彼女たちの活躍は、それがたとえ男性であっても十分に輝いていると言えるのではないでしょうか。わざわざ頭に「女性支店長」「女性管理職」「女性杜氏」とつけるまでもなく、それが男性であれ女性であれ、尊敬できる働き方であると思います。(ただ、僕の妻が男性であったら、とはあまり想像したくありませんが)

結局のところ、性別と輝ける働き方には何の関係もないのだと思います。「男性が輝く働き方」、「女性が輝く働き方」、その言葉のどこかに「男性なのに」「女性なのに」という意味が含まれてしまうと、その人のせっかくの輝きが薄れてしまうような気さえするのです。

ただし、男性よりも女性の方が職業選択や結婚について謂れのない差別を受けているのは事実です。そういった意味では、女性の方が輝きにくい社会になってしまっているかも知れません。しかしそれはその人の働き方ではなく、まわりの人の働き方次第だともいえます。先日から世間を騒がせた議会でのセクハラやじ問題もそうですが、女性が輝く働き方とは、働く女性その人よりも、まわりの男性に左右されるものなのかもしれません。

人権問題についての著作を多数発表している実業家の辛淑玉さんによると、「素敵な男性は、女性の足を引っ張らない」そうです。その言葉どおりなら、女性が輝ける社会は、素敵な男性が輝く社会だとも言えます。私自身そのことを肝に銘じ、自分の働き方を見つめなおしたいと思います。

戻る