小学生の頃は、スポーツも勉強もできる優等生。友人にも恵まれ、公園やグラウンドで必死に走り回った。中学生になり、友達との関わりがうまくいかず不登校になりかけた。そんなとき救ってくれたのが勉強だった。いくら友達がいなくても勉強だけは私を見捨てたりしない。その言葉だけを胸に、根性でひたすら勉強に励んだ。
晴れて道内一の進学校に進み、その後は国立大学に進んだ。自分は人生の勝ち組だと思っていた。ところが大学一年の頃、近くの居酒屋でアルバイトを始めた。そこでは、学歴がなくとも器用に仕事をこなし、人とうまくコミュニケーションをとるフリーターや学生がたくさんいた。この現場では、私が今まで身に付けた知識、学歴は取るに足らない代物だった。たとえ勉強ができても、それをうまく生かせる力を持っていなければ社会では通用しないことを痛感した。徐々に、社会に出ることに対して恐怖を覚えるようになった。今まで自分が行ってきたことに対する誇りや自信を失った。自分が嫌いになった。
大学を卒業し、就職した先は養護学校だった。私を生かせる場所、私を必要としてもらえるかもしれない場所を探しここに行き着いた。それでも、初めのうちは失敗の連続だ。いくら勉学に対する知識をたくさん持ってはいても、目の前の子どもの対応になかなか生かすことができない。毎日仕事を辞めたいと思い、泣き崩れた。ただそんな時浮かぶのは子どもたちの笑顔だった。彼らは、どんな出来事にも全力で笑い、全力で泣き、魂で生きている子どもたちだった。そしていつのまにか魂でぶつかってくる子どもたちに、魂でぶつかっている自分がいた。私は彼らと全力で遊び、彼らに全力で勉学を教えた。
彼らの姿から学んだことがある。私にも、彼らのように全身全霊をかけて生きていた時代があった。小学生の頃は、友人と全力で遊んだ。中学生の頃には、持ち前の負けん気の強さで勉学に励んだ。人とうまくいかず、苦しんでいた時代もあったが、そんな一生懸命に生きる姿はきっと美しかったはずだ。なぜならば、今目の前にいる子どもたちが、とても輝いているからだ。あの時かいた汗や流した涙が、将来に直接役に立っているかはわからない。でも、あの汗と涙はきっと美しかったのではないかと思う。ならば、もう一度、その汗をかいてみよう。涙を流して目の前の子どものよりよい成長にかけてみよう。
現在、社会人4年目になった。まだまだ失敗ばかりの毎日で、仕事を辞めたいと思うこともしばしばだ。 そんな私は、今日も全力で、笑って泣いて目の前の子どもの成長のために魂を燃やしている。不器用だけど 一生懸命な自分が、少し好きになりかけている。