【 努力賞 】
【テーマ:仕事・職場から学んだこと】
一人の人間として認められるということ
東京都 高井希 27歳

祖父が認知症になった。祖父は、一代で会社を築き上げた人で、よく、幼い私を仕事場に連れて行ってくれた。ぴしっとスーツを着た祖父は、子供の私からはとても格好よく見えた。しかし、仕事での成功による自信が大きかったことも原因だったのか、祖父は、母や叔父、十数年前に亡くなった祖母にも横柄な態度をとる人だった。幼い頃から祖父の愚痴はよく聞かされていたし、私や妹や従兄弟にも無神経なことを言う祖父のことが好きではなかった。

そんな祖父が、夜中に廊下で用を足すなどの行動をとってしまうようになり、頭がはっきりしている時にそれを思い出し、塞ぎ込むようになったと聞いた。以前の祖父からは想像がつかないような話だった。そして、祖父が苦しんでいるその時、私は働いていた職場での仕事に忙殺されていて、自分のことで精一杯だった。

そんな合間を縫って母と見舞いに出向き、久しぶりに見た祖父は、趣味だったスイミングも散歩もできなくなり、肌は真っ白で筋肉も落ち、明らかに衰えていた。けれど、自分の不甲斐なさを嘆く祖父の話しぶりは、語気は弱いものの、はっきりしていた。何と言えばいいのかわからなかった私が「元気そうに見えるし、年を取ったら体だって動かしにくくなるのは当然だよ」と言うと、祖父はとても嬉しそうで、初めて、祖父の心が私の言葉に反応してくれたように感じた。私は長いあいだ、祖父とはまともに会話をしていなかったし、祖父が話を始めると、この人は話が通じる人ではないのだからと聞き流していたということに気づいた。

それから、私が担当していた書籍が完成し、それを区切りに、私は会社を辞めることにした。しばらくはゆっくりしようと決めていたものの、無職という状態は、精神的に不安だった。そんな時、祖父が叔父夫婦と共に東京に来て、会食をすることになった。仕事を辞めた私のことを祖父は無神経な言葉で傷つけるに違いないと考え、とても憂鬱だった。

会食が始まると、叔父や叔母は、私の仕事での苦労をねぎらってくれた。薬が効いていたらしく元気そうに見えた祖父が話し出そうとすると、私は思わず身構えた。しかし、祖父の口から出た言葉は、「仕事の実績をつくったのだから、それを生かして頑張りなさい」という言葉だった。何を買ってもらっても、どこへ連れて行ってもらっても感じることのできなかった、祖父の優しさを初めて感じることができた。

祖父が病気で苦しんでいる時、私もまた、仕事で苦しんでいた。しかし、がむしゃらに進んでいるとしか思えなかった私も、社会人として働く中で成長することができていて、人にどんな言葉をかければいいのか、考えることの大切さを学んでいた。そして、社会人になった私を対等な人間として認めてくれているのかもしれないと思える祖父と、初めて本当の会話を交わし、人間としての関わりを持てたような気がした。

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