今、非正規雇用者の割合が増え、特に若者が占める比率が高くなっていると問題視されている。20代の私にとって、テレビのニュースはまるでリアリティがなく、遠い国で起きている戦争や災害のように、自分とは無関係であると冷ややかな目でみていた。まさか、ブラウン管の世界のことが、目の前の現実として考えなければいけないとは想像すらしていなかった。
2010年4月、私は兵庫県のある小さなウェブ会社に正社員として就職した。これでも人並みに就職活動を経験し、就職に関する書籍を読み漁ったり、インターンシップにも参加したり、平均的な就職活動よりも真剣に"働くこと"について向き合って選んだはずの結果だった。就業先はいわゆるベンチャー企業で、社員数も10名に満たない程度だったが、服装は自由で、社長も○○さんと呼び合うほどのアットホームな社風に惹かれて入社した。
ところが入社してみると入社前に想定していたはずの初任給より低く、残業代は支給されず、いわゆる"ブラック企業"に該当する結果だったのだ。そして、決定的な出来事は2010年7月、リーマンショックの影響で、当時の得意先だった企業からの受注が大幅に減った。将来のことを考え、退職を決断することになった私に、当時の上司がかけた言葉は「正社員として入社3カ月で退職。次の就職は難しいだろうね」という絶望的なアドバイスだった。
実は正社員として働く以前に、アルバイトとして1年間ほど働いていた。後にハローワークに相談してわかったのだが、この時点で社会保険に入っておらず、失業保険の対象外であることがわかった。若さゆえに、次の就業先すら決めず、勢いだけで決めてしまったことにどうしようもない後悔の気持ちがあった。それから就職活動を開始したのだが、なかなか決まらず、就業意欲もどんどん低下した。
私は失業で落胆し、自暴自棄にさえなっていた。咳がとまらず、肺炎になり、精神科やカウンセリングも必要な状態だった。そんな絶望を支えてくれたのは、パートナーである妻の存在だった。ボロボロになった私をふるいたたせるように、妻は私と"婚約"の道を選んでくれた。おそらく、人生で最高の不幸と幸福を、どちらも体験することは今後の人生でまずないだろう。
2010年11月、私はある広告代理店にパート雇用で入社した。就業先に選んだのは、求人広告を作るコピーライターという仕事だ。就職活動では、さまざまな求人サイトに登録し、毎日のように求人情報誌を読み続けた。その経験から、今度は自分のように働くことに悩む人を支援するような仕事がしたいと強く思うようになったのだ。ゼロからのスタートであり、入社する前の面接では「契約社員や正社員への登用実績はない」と言われたが、その歴史を塗り替えてやる、と意気込んだ。だが、1年近く暗闇のトンネルの中にいるような時間だった。昔の自分とは違い、私は妻帯者になっていた。もしダメだったら…通勤電車の中で、いつも絶望と希望が隣り合わせの時間を過ごしていた。駅のホームで自殺さえ考えることもあった。
2012年2月、私はついに契約社員へ登用された。周囲の支援もあり、私の処遇は大幅に改善された。何より時給だった給与が月給になったことが嬉しかった。学生の頃は、こんな当たり前のことが、どれだけ幸せなことであるかなんて考えもしなかった。
そして、2014年4月、私は晴れて正社員となった。家族も3人になっていた。給与明細には"家族手当"とあり、たくさんの夢が叶った。この体験を綴っているのは、有給休暇を取得し、家族とかけがえのない時間を過ごしている昼下がりだ。働く未来を応援するため、私はこれからも企業を訪問し、取材を重ね、職場のことを伝えていくだろう。非正規雇用の現実を体験した私だからこそ、働くことの現実も希望も添えて、働く未来を伝えたい。