【 努力賞 】
【テーマ:私の仕事・働き方を決めたきっかけ】
父の背中
大分県 山本麻美 25歳

これが鬱か。そう実感し始めたのは、既に2、3カ月が経過してからだった。

初めにおかしいな、と感じたのは、家族と夕食を食べなくなったこと。部屋を覗くと、テレビを見て笑いながらラーメンをすすっていた。たまにはカップラーメンが食べたくなることもあるよね、とその時は気楽に受け取った。お湯を注ぎに来るのも面倒になったのか、帰りにコンビニで買ったパンを食べるようになり、お風呂入る?の声にも生返事しかしなくなった。ドアの隙間から覗く父の背中からは、何の感情も読み取れなかった。

私の誇りだった父は、働くことで心をなくしてしまったのだ。

私の父は、名前を挙げれば誰もが知っている大手金融に勤めていた。あらゆる点で他の同世代の人たちの中で優秀だったからこそこの会社に入れて、今も優秀だからこそ、何の不満も言わずに働き続けているのだと信じ切っていた。仕事の話はしない父だったが、本当は家族には言えない思いをたくさん抱えていたのだろう。

父は、現実から逃れるように、目のちかちかするネットゲームを休みの日には一日中するようになってい た。

社会はつらい、きびしい、くるしい、こわい。

それから1年ほど経ち、私は就職活動を始めた。就職氷河期と呼ばれる時代で、多くの企業からお祈りされ続けた。「他社でのご活躍をお祈りします」と、連絡をくれるのはまだいい方で、連絡すらくれない企業もあった。就職するのもこんなに厳しくて、就職してからも父のようにつらい目にあうのか。将来苦しむために、今苦しい思いをしているような、そんな気がした。

父も相変わらず、家族と関わらない生活をしていて、それでも月曜日にはちゃんと仕事に行く。きっと職場では何も変わらない様子で働いているのだろう。母が言うには、父は新しい上司と折りが合わないらしかった。

私は、父のようにつらい思いはできるだけしたくないし、将来同じ職場で働く人が父のようになるのも、たまらなくつらい。けれども、社会に出たら、みんな自分のことでいっぱいいっぱいになって、誰かが出しているSOSも見て見ぬふりをしてしまうのかもしれないと思うと怖かった。

働くってなんだろう。考えてみた。父にとって、私にとって、働くってなんだろう。

そんな折、祖母から便りが届いた。

それから父は退職して、障害者の就業サポートの仕事に転職した。給料は約3分の2になるが、母とも話合ってそう決めたらしい。

趣味でサイクリングも始めた。まだネットゲームもしている。

私はというと、祖母から送られてきた市報に載っていた市役所の試験を受け、採用された。

祖母の住む母の実家のある町で、夏休みと冬休みには私たち家族が里帰りしていた馴染みのある町だ。

働き始めて思うのは、市民の方はもちろん、同じ職場で働く職員とのコミュニケーションも大切だということ。他の職員が仕事をやりやすいように、負担をなるべく減らせるように助け合っていきたいと思っている。そう思えたのは、父の背中を見てきたからだ。

私がこっちに来てからも、両親は夏と冬には一週間ほどこの町で過ごす。2台の自転車を車に積んで、フェリーでやってくる。私もたまに母の自転車を借りて、父の後ろを走る。

さわやかな潮風と適度な疲労感を受け止めながら思う。

あの頃、父は心をなくしたわけではなかったのだ。どんなに苦しい状況でも、家族を守るために、働き続けたのだから。

何事も変化を避けることはできない。安定を求めるなら、変化を恐れないことだ。父はきっとタイミングを待っていたのだと思う。これ以上傷つかないように、安全な殻に包まれて。

父は、転職してから仕事の話をするようになった。障害者の方が資格を取るのに付き添うことがある。目が見えない方などはすごく記憶力がよかったり、器用だったりする。手話を勉強していて、こんな手話ができるようになった。そう言って穏やかな表情をする。

父の背中は、以前よりずっと頼もしく思えた。

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