私はまだまだ未熟者だった。もっと早く仲間の偉大さに気付くべきだったと。凝り固まった考えの上に、まるで地層のような分厚いプライド。そんな「鎧」を身にまとった人間であった。どうしてもっと早く自分自身と向き合わなかったのか。どうしてもっと早く自分自身を変えようとしなかったのか。いや、変えるのが怖かったのかもしれない。この20数年かけて培ってきた経験や知識、価値観、倫理観が壊れてしまうと思うと、とても前へ進もうと思えなかった。
私は故郷から遠く離れた東京に出てきて二年目を迎える社会人。配属通知を手にしたときは東京というふるさととは異なる道の世界の如く不安でいっぱいだったが、学生から社会人へ環境が変わるということから不安より期待の方が上回っていた。学生時代はアルバイトに励み、人より評価されていたことがいつしか自分への自信へと変わっていた。「俺なら出来る。すぐに結果を出してのし上がってやる。今までの経験は絶対に生きるはず。周りの仲間よりも経験は上回ってる。だから必ず軌道に乗るはずだ」と。
しかし、過去の栄光にしがみついた結果、入社当初の希望や野心はどこにいったのか、何をしても空回り、上司に指摘され叱られる毎日。一方で周りの仲間達はどんどん先へ進んでいく。そんな現状を自分自身受け入れようとしなかった。「これは自分に与えられた試練だ。今までお前は人に評価されてきたじゃないか。上司はきっと理解してくれる。仲間に頼ったって結局は自分で決断しなければいけないんだ。必ず自らの力で答えを導き出せる」そう自分に言い聞かせ、自分自身で何とかしようとしていた。しかしながら、周りの環境は悪くなる一方。いつしか私は、周りからお荷物のような存在になりつつあった。もう限界だった。
そんな状況を理解し、一緒に変えようと手を差し伸べてくれた人がいた。仲間だった。自ら距離を取るように突き放していた私のような人間でも、仲間は優しく手を差し伸べてくれた。自分自身の過ちに気付いていなかった。呆れられ、そして見放されて当然であったのに。人は皆裏切るものだと思っていた。自分にとって都合の良い者のみ周りに置くものだとも思っていた。だがそれは私が社会というコミュニティから逃避していただけだったのだ。情けなかった。20数年間生きてきてようやく仲間の偉大さに気付いたのだから。今は現実と向き合い、心新たに社会人二年目を私は一歩一歩歩んでいる。仲間という心強い味方と共に。